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アネモメトリ -風の手帖-

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#79

自然体で機嫌よく、精一杯かばんに向き合い続ける
― 竹内洋次郎

(2019.06.09公開)

1905年の創業以来、京都東山でかばんの製造・販売を続けている株式会社一澤信三郎帆布。職人たちがひとつずつ手作業でつくった、丈夫で独特な風合いを持つ帆布製のかばんを求め、店舗には日本全国はもとより海外からもお客さんが絶えず訪れている。その一澤信三郎帆布で、デザイン室を率いているのが竹内洋次郎さんだ。竹内さんは、かばんに関わるデザインをするうえで重要なのは「自らの手でかばんをつくってきた経験」と語る。そう思うようになった経緯や、これまでの足跡をうかがった。

一澤信三郎帆布の店舗

一澤信三郎帆布の店舗

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店内には職人が手作業でつくった、さまざまなかたちの帆布のかばんが陳列されている

店内には職人が手作業でつくった、さまざまなかたちの帆布のかばんが陳列されている

———竹内さんはデザイン室長として、どんなお仕事をされているのでしょうか?

自社のデザイン全般に関わっています。例えば、メインの製品であるかばんについては、ロゴ、意匠、イメージ画、捺染柄の図案の作成、金具類の刻印などをデザインしています。それ以外にも、名刺や紙袋、カタログ冊子といった紙媒体から、ホームページ等で使用する写真、画像関係、缶バッジや手ぬぐいといった販促物、ピンブローチのデザインまで多岐にわたります。
こうしたデザインの仕事は、わたしが入社した2002年当時、専門の部署はなく、特に誰がやるという決まりはなかったんです。でも自分から「それ、やります」と手を挙げてやらせてもらっているうちに、デザイン全般に携わるようになりました。
当室を率いる傍ら、デザインだけではなく製品をつくる職人仕事もしています。たとえば、うちの製品は店頭に並ぶもののほかに、記念品や引き出物など、お客さまのご要望に沿って別注でつくるものがあります。その別注の製品の打ち合わせからデザイン、製作、納品まで行っています。つくる量が多ければ、職人仕事の比重が高くなるときもありますね。そういった自分の手でかばんをつくってきた経験は、デザインをするうえでも重要です。

竹内さんがデザインした別注の〈京おどりかばん〉。京おどりをする芸妓さんや舞妓さんのためにつくられた

竹内さんがデザインした別注の〈京おどりかばん〉。宮川町の芸妓さんや舞妓さんの依頼で製作された

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竹内さんがデザインしたピンブローチ(上)とデザイン画(下)

竹内さんがデザインしたピンブローチ(上)とデザイン画(下)

———職人としてかばんをつくってきたからこそ、デザインもできるんですね。

うちのメインの製品は、帆布のかばんですからね。かばんのことがわからないままデザインだけしていても、いいものはできません。デザインをいかに製品に落とし込むかが重要なんです。かばんには“この部分は何センチ折る”とか、基本的な形状があるわけです。それにかばんは、試作品を1個つくることができても、量産できなければ店頭に並べることはできません。製品にできるデザインかどうかも、つくっているうちにわかってきます。
そういったことが頭に入っていないと、実用的なデザインはできないんです。だからまず、かばん自体のことを知る必要があります。デザイン室に関わるスタッフは、まずは店頭での接客や職人仕事など、デザイン以外のことも経験していきます。販売では直接、お客さまの声を聞き、どんなかばんが求められているのか知ることができます。そうやって身に付けたことが、多様なデザインをする際に活きてきます。

工房内の様子。ミシンを使う職人(右側)と、帆布に折り目をつけたりする下職(左側)が二人一組になってかばんをつくる

工房内の様子。ミシンを使う職人(右側)と、帆布に折り目をつけたりする下職(左側)が二人一組になってかばんをつくる

———竹内さんも最初は職人さんとして働きはじめたんですか? 工房ではどのような作業をしているのかも教えてください。

そうですね。わたしも職人としてスタートしました。うちのかばんは、ミシンを扱う職人と、帆布に折り目や金具を付けたりする下職(したしょく)が二人一組になってつくります。たとえば下職が折り目をつけたところを、ミシンを扱う職人が縫っていくんです。
職人はまず、下職として働きはじめます。だからはじめはミシンを使うことが憧れでしたね。でも最初は、折り目をひとつつけるのも難しいんです。帆布は切りっぱなしにすると端からほつれてくるので、そのままにはできないんですね。その端を内側に折り込むときに、生地が固いので木づちで叩いて折っていきます。
今はもう目をつむってもできますが、はじめは生地が真っ直ぐに折れないんです。先輩たちがやると仕上がりもきれいで、スピードも全然ちがいます。同じようにやろうと思っても、なかなかうまくできません。木づちで手を打ったり、豆がつぶれたりということを繰り返しながら、少しずつ上達していきました。

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下職がハンマーを使い、固い帆布に折り目をつけている様子。作業台は大きな切り株

下職が木づちを使い、固い帆布に折り目をつけている様子。作業台は大きな切り株

———かばんはすべての折り目や縫い目が、測ったようにまっすぐそろっていますね。すべて手作業というのは驚きです。

決まったマニュアルや設計図もないので、すべて職人の勘と技術がたよりです。いま言ったように、はじめはひたすら、木づちで生地を叩くんですよ。かばんのかたちをつくるのはもっと後の段階なので、思っていたより地味な作業でしたね。でもひとつのことをたんたんと続けるのは、嫌ではなかったです。
それに、早く一人前になりたいので、先輩には前のめりで「これもやりたいです」「こっちも教えてください」とお願いして、できるだけいろんな作業をやらせてもらっていました。それでデザインの仕事にも手を挙げていたんです。
本格的にミシン仕事が主になるまでには、10年かかりました。はじめはネームタグを縫い付けることからはじめるんです。これもまっすぐ縫えるようになるには技術がいるんですよ。
体で覚えて思い通り使えるようになるまでには、ある程度の時間がかかります。そのあいだ、先輩から学んだことは大きいですね。今でも日々、学ばせてもらっています。

まっすぐな縫い目でカバンに縫い付けられたネームタグ

まっすぐな縫い目でかばんに縫い付けられたネームタグ

工房のミシンでかばんを縫う竹内さん

工房のミシンでかばんを縫う竹内さん

———デザインは大学時代に学んだのでしょうか? 一澤信三郎帆布で働きはじめた経緯も教えてください。

京都造形芸術大学で芸術学を学んで、学芸員の資格も取りましたが、まじめに大学に通うタイプではなかったですね。夜になるとよく友達と部屋で飲んだり、街に出かけたりして、そこで学んだことのほうが多いかもしれません(笑)。情報デザインや建築の学科にいた友達の影響もあって、Macでデザインを独学していました。
卒業後はデザイン事務所で働いたり、いろんな業種のアルバイトをしたりして暮らしていました。このころは、ひとつのことにどこか一生懸命になれずにいました。あるとき、荷物運びのアルバイトをしていると、現場がたまたま京都造形芸術大学だったことがありました。そこでイスや机を運びこんでいると、ふと「この大学を卒業した自分が、いったい今、何をしてるんだろう……」って思ったんです。
お金も底をついてましたしね(笑)。それで、手に職をつけようと決めて、直感で「ここだ!」って思ったのが一澤帆布工業(当時)でした。絶対に受かろうと思ったので社長の一澤に手紙を書いて、面接のときも必死に話したと思います。

———心からやってみたいことがみつかって、一生懸命になったんですね。

そうですね。今でもできる確信がなくても、ひとまず「やりますっ」と言ってから、「さあ、どうしよう」ってやりかたを考えることが多いですね。今までそうやって生きてきました(笑)。新しいことにチャレンジするのは怖いですが、少し無理をしてでも「やります」と言っています。先に誰かに思いを伝えて腹をくくると、もうそこに向かっていくしかなくなります。そうやって自分にプレッシャーをかけて、何かに取り組むということをどこか楽しんでいるのかもしれません。

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新作会議を通過したナップザック。竹内さんが実際に毎日使って、使い心地をチェックしている

新作会議を通過したナップサック。竹内さんが実際に毎日使って、使い心地をチェックしている

———一澤信三郎帆布はやりたいことに挑戦できる環境なんですね。

うちは本当に社員の意見が通りやすい、風通しのいい会社だと思います。例えばつくってみたいかばんがあれば自主的に試作品をつくり、誰でも新作会議に持ち寄って提案できます。月に1回、試作品をつくることができる日が設けてあるんです。その日は備品や材料は自由に使ってもいいんですよ。休日ですが、自主的に出てくる職人はけっこういますね。
わたしもその日に試作品をつくって、何度も提案しています。このナップサックは何人かのスタッフに試用してもらって会議を通ったので、今自分で使って使い心地などを確かめている段階です。やっぱり自分が考えたものがかたちになって、世に出るのはうれしいですね。

———風通しがいい雰囲気は、一澤信三郎社長の影響が大きいと感じますか?

そうですね。一澤は大きな存在ですが、距離が近くて何でも話しやすいです。常に面白いことを探しているようなひとで、会社全体の雰囲気も“遊び”があるというか、自由な感じがします。一澤は最近、「在るがまま、機嫌よう」と言っていて、わたしもそんな状態でいられることを目指しています。自然体で機嫌よくいられるのが、何よりいいことだと思います。
会社については、「時代にとことん遅れ続ける」ということばも聞いています。うちのかばんはどれも手づくりで、店舗は一つだけですからね。時代の先端とは正反対ですよね。でも遅れ続けて周回遅れになったら、それが先端だという気もしてくるんですね。無理をして規模を拡大するより、みんなが機嫌よくいられる価値観を大事にしていると感じます。だからわたしも心地よく働けているんだと思います。

———仕事がつらいと感じたことはありますか?

つらいと思ったことは、正直ないんですよ。「これ、どうしよう」とか「本当にできるだろうか」と思うことはあります。でも先ほど言ったように「やります」と言ったからには、腹をくくって向かっていくしかないんです。それもひとりではなくて、周りには助けてくれるひとたちもいます。先輩にはわからないことを相談できますし、絵のうまい後輩には、絵を描く仕事を任せることもできます。目の前にハードルが出てくると、ケース・バイ・ケースでその都度、なんとかふわりと乗り越えていく感じです。

———行動の指針にしているようなことばはありますか?

学生時代から強烈に覚えているのが、「小国寡民」という老子のことばです。まじめな学生ではありませんでしたが、芸術学の授業で上村博先生がおっしゃっていたのを今でもよく思い出します。
この「小国寡民」は、人口が少なく小さな国という意味です。住民はそこで手に入るものだけで満足し、別の国にあるものまで欲しがらないという生き方を理想としています。“自分の身の丈に合った生活に満足し、幸せを感じること”と言いかえられると思います。わたしの目指す生き方も、うちの会社のあり方も、この「小国寡民」がぴったり当てはまると感じますね。

———将来の展望を教えてください。

展望というより、一日一日を大切にして生きていきたいですね。うちの会社で働きはじめてから“いま自分にできること”を精一杯やっていたら、あっという間に時間が経っていた気がします。いろいろありますが、自分なりに充足した日々を送ってきたからかもしれません。これからもやることはたくさんあるので、意識しないとすぐに時間は過ぎていくと思います。
だからいつも、一日の終わりに「今日はこんなことをしたな」と、ちょっとでも振り返るようにしています。そうするとちょっと穏やかな気分で眠りにつけるんです。いや、晩酌のお酒の力ですかね(笑)。
これからも、そんな日々を送っていきたいですね。

取材・文 大迫知信
2019.04.10 京都東山の一澤信三郎帆布にてインタビュー

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竹内洋次郎たけうちようじろう

1975年長野県生まれ。2000年に京都造形芸術大学芸術学科芸術学コース卒業。その後、デザイン事務所での勤務や、アルバイトでさまざまな仕事を経験する。’02年、手に職をつけることを決意し、「どうしてもここで働きたい」と感じた株式会社一澤帆布工業(当時)に就職。かばんを制作する職人として働きながら、自ら手を挙げデザインの仕事も積極的に行う。’06年にデザイン室長に就任。自然体で機嫌よく、一日一日を大切に過ごすことを目標に、同社のデザイン全般に関わりながら職人仕事も行っている。


大迫知信(おおさこ・とものぶ)

大阪工業大学大学院電気電子工学専攻を修了し沖縄電力に勤務。その後、京都造形芸術大学文芸表現学科を卒業。大阪在住のフリーランスライターとなる。経済誌『Forbes JAPAN』や教育専門誌などで記事を執筆。自身の祖母がつくる料理とエピソードを綴るウェブサイト『おばあめし』を日々更新中(https://obaameshi.com/ )。京都造形芸術大学非常勤講師。