アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

風を知るひと 自分の仕事は自分でつくる。日本全国に見る情熱ある開拓者を探して。

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風と土のチカラ
― 小林泰三

(2013.05.05公開)

島根県西部地方に古くから伝わる民俗芸能「石見神楽」。普段は仕事を別に持つ一般人が、祭の日、面を着けて舞うだけでまったくの別人に化けるという姿に魅了された当時11歳の少年は、浜田市にある神楽面作りの職人の門を叩いた。粘土と和紙という自然の素材から生み出される、勇ましい表情、目の睨み、そして鮮やかな彩色——その愛着と情熱の根源はどこにあるのか、何に向けているのか。

——「石見神楽(いわみかぐら)」という民俗芸能について、教えてください。

石見というのは、島根県の西部地方を指します。古くは室町時代後期から江戸時代にかけて発祥した神楽のことを「石見神楽」と呼んでいます。もともとは神職が行う仕事のひとつとして神楽舞があったのですが、明治時代に政府からの命令で、神職の舞が禁じられたんです。そんな歴史を経て、現在は民俗芸能として継承されています。島根県全体では240、石見地方だけでも130の神楽団体があり、非常に伝統芸能を重んじる地域柄がうかがえると思います。
※神楽団体:おもに地域ごとに結成される。神楽行事の他、歴史研究、保存活動なども行う。

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石見神楽の人気演目『大蛇(おろち)

——神楽との出会いはいつ頃でしたか。また「面を作る」という道を選んだ経緯はどのようなものだったのでしょうか。

私の生まれは島根県にある温泉津(ゆのつ)という町です。この地方の子供たちは、生まれた頃から石見神楽そのものが身近な存在としてあります。どこのお祭に行っても観ることができますし、デパートや結婚式でも舞われるんですね。普段は仕事を別に持つ一般人が面をつけた瞬間にまったくの別人の姿に生まれ変わる魅力に惹かれ、11歳のときに、浜田市にある面作りの師匠に弟子入りすることにしたんです。師匠のもとでは基本的に作業場の掃除をしていました。筆を洗ったり、材料の買い出しに行ったり、店番をしたりする日々を送りながら、師匠が一体どういう材料を使ってどういう仕事をしているのか、学んでいったんです。その中で、伝統工芸や歴史文化に関心を抱くようになり、職人の町でもある京都に行ってみようと。それで、京都造形芸術大学に進学することに決めました。面の技術ももちろんですが、神楽そのものについて理解したかったし、民俗芸能が全国的にどういう広がりを見せていて、その中で私の生まれ育ってきた島根県にはどういう特色があるのか。それを調べたいと思っていたので、専攻を芸術学にしたんです。

——1、2回生は京都で寺社仏閣のフィールドワークなどをされていたそうですが、3回生以降は石見神楽の現地調査、つまり故郷に帰って研究を進められますね。

はい。現地での調査に入り、神楽を舞っている人や、神楽について調べている人に聞き取りを行いました。そこで、もう亡くなってしまいましたが、一度、地元で神楽研究をしているおじいさんの家で話を聞く機会があったんです。当時の私は、神楽を舞う上での方角について知りたくて、舞台において東西南北をどのように決めているのかということを尋ねました。けれどその方は「まず、ぐるっと回るでしょう」という話からし始めたんですね(笑)。「一周回って右手を差し出す。次は左手」と。神楽は右手に扇子を持ち、左手に御幣(ごへい)を持ちながら舞うのですが、その方はそれを「柄杓にたっぷり入った水と、それによって育った稲穂」なのだと喩えました。つまり舞台というのは田んぼなんですよね。春、田んぼに水を入れて苗を植え、秋にその収穫を祝う。冬は次の田植えに備えて世話をする。単純な東西南北という考え方だけではなくて、そこには春夏秋冬、景色の移ろいがあるんだと。その流れで人間の営みが育まれてきた。だからわれわれは、神様に対して何を考えなければいけないのか、すなわち感謝の気持ちなのだと、そうおっしゃったわけです。その答えを聞いたとき、自分の考えていたよりはるかに広くて、深い世界を知っている人がいるんだと、衝撃とともに大変うれしい気持ちになったことを憶えています。
※御幣:神社などで見かける、ひらひらとした紙のついた棒のこと。お祓いなどで用いる。

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さまざまな表情をした面がこちらを睨む

——卒業後は大学職員を経てから、本格的に面作りの職人として島根県に拠点を移し、ご自身で「小林工房」を構えられますね。

現在、私が行っている仕事のほとんどは「復元」という作業です。各神楽団体が所有している面で、傷ついてしまったり、古くなったりしたものを修復してほしいという依頼が多いですね。しかし、ここで気をつけなければいけないのは、古くなったからといって、何も考えずに上から和紙でコーティングしたり、鮮やかな彩色をすることが、はたして本当に正しいのか、という点です。確かにその工程で、新しくなったように見せるというのは、作業も早く終わるし、金額的にも安く仕上がります。だけど私の手によって、古くなった歴史そのものを塗り替えることになるんじゃないか、と。それは本当に良いことなのか、悪いことなのか、判断するのも私の仕事だと思っています。なので、現在は基本的に修理・修復ではなく、元の面の復元品(レプリカ)を作ることに移行してきているんです。元の面には手を着けずに、寸法を測って、一から新しいものを作り上げてゆく。時間もかかりますし、できあがったときに「似ていない」と言われて、何回も作り直すこともあります。ですが、その作業を通じて、昔の職人がどういう道具を使って、どのような手の動きで、顔の輪郭と表情ができあがったのか、それをきちんと理解するようにしたんです。

——お客さんからの注文を聞くとき、どのような点を大切にしているのでしょうか。

そうですね。普段から、ただの情報交換ではなく「どういう神楽を舞っているのですか」「どのような思いで舞っているのですか」というふうな対話を心がけています。注文していただく人のストーリーを聞くわけです。面というのは、神楽団体の歴史を物語る「そのもの」ですから、使う側と作る側の絶妙な信頼関係を築いてゆくことが、作品を永く残す秘訣だと思っています。先人を讃えるために、むやみに手を加えない。代わりに魂を受け取って、私の力で舞台に上げる面を作る。そういう考え方です。

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復元品を作っているようす

 面作りで最も気にするのは、何よりも目の角度ですね。眼球の形と穴の位置。描く線の太さ。すべてのバランスを考えて形を作ってゆきます。天井画で「八方睨みの龍」というものがありますが、面も一緒です。どの角度を向いていても、目がこっちを睨んでいるようにしないといけないんです。単純に舞う側の利便性を尊重するのであれば、右目と左目の距離は何センチと決め、おのずと使い勝手の良い面を作ることはできる。しかし観客の目を惹く面となると、普通に考える人間の目の形、位置、線とは微妙にずれているんです。だから舞台にいかに映えるか、ということを第一に考えて、目を置かなければいけない。そこがすごく難しいところです。また、神楽面というのは、もともと粘土と和紙からできているわけですが、作ったものには、まるで自分の子供のような愛着が湧くんですよ。商売だからもちろんお渡しするんですけれど、本当は渡したくないってくらい淋しくなる(笑)。

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細部をとらえながら手を動かしてゆく

——その愛着のもとを辿れば、粘土に対する愛着、和紙に対する愛着。自然というものに対する愛着、というイメージが広がってゆきますね。小林さんにとって小学生の頃から夢を膨らませ、作り続けてきた神楽面の世界ですが、これからの展望をお聞かせいただけますか。

私はよく「風と土」に例えますが、その土地で育まれたものを根付かせる「土のチカラ」と、それを外の世界に届けていく「風のチカラ」が必要だと思っています。そのチカラこそ、芸術の根本である「作ること」と「伝えること」であり、そのチカラが活発に働くことで、人々の心は満たされ、生活が豊かになると考えています。その両方に磨きをかけていきたいですね。そのためには、石見地方だけでなく、日本各地や世界各国にある芸能や舞台芸術を研究し、石見神楽の可能性を探っていきたいです。そして、過疎化、少子化、高齢化の進む町ですが、石見神楽で地域の活性、振興を促していきたいと考えています。これまでの人生で学んだ「日々感謝」の姿勢を忘れることなく、日々の制作に取り組みたいですね。

インタビュー、文 : 山脇益美
2013年4月12日 電話にて取材

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小林泰三(こばやし・たいぞう)

1980年島根県大田市温泉津町生まれ。11歳の頃から、島根県の伝統工芸品である「石見神楽面」の職人、柿田勝郎氏に師事し、技法を学ぶ。1999年、島根県立江津高等学校卒業。同年4月、京都造形芸術大学芸術学部芸術学科芸術学コース入学、2003年卒業。卒業後、同大学の事務職員として5年間勤務。その後退職して島根県にUターンし、㈱小林工房を設立。石見神楽面の製造・販売に携わりながら、次世代育成としての教室やワークショップを手がけ、石見神楽を通じたイベント企画や指導にあたっており、現在、京都造形芸術大学の「京都瓜生山舞子連中」の指導者も務めている。

山脇益美(やまわき・ますみ)

1989年京都府生まれ。2012年京都造形芸術大学文芸表現学科クリエイティブ・ライティングコース卒業。おもな活動として京都芸術センター通信『明倫art』ダンスレビュー、京都国際舞台芸術祭「KYOTO EXPERIMENT」WEB特集ページ、詩集制作など。大分県のNPO法人「BEPPU PROJECT」でアルバイトののち、現在は京都住まい。