アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

最新記事 編集部から新しい情報をご紹介。

風信帖 各地の出来事から出版レビュー

TOP >>  風信帖
このページをシェア Twitter facebook
#162

いも観音 湖北-「観音の里」から-
― 滋賀県長浜市

琵琶湖の北に位置する滋賀県長浜市は仏教文化財の宝庫と言われ、古くから人々に守り継がれてきた観音菩薩像が数多く残っている地域です。その数は130を超えるとされています。
早くから東西の交通の要衝として開かれた近江国は、それゆえに長い歴史のなかでたびたび戦乱の兵火に見舞われた地域でもあり、人々はときに自分の村の守り仏である仏像を地中や川に沈めて守ったと伝えられています(1)。
滋賀県長浜市木之本町西黒田の天王山安念寺に伝わる10躰の仏像、通称「いも観音」もまた、戦国時代、戦火で2度も堂宇が焼失したにも関わらず、その度に土中や田んぼに沈められ、村の人々に守られたという古仏です。足の部分がなかったり、顔立ちもはっきりとしない状態だったりと傷みの激しいものがほとんどで、一見痛ましい印象の仏像。兵乱が治まった後、地中から掘り出され、近くの余呉川で芋を洗うように洗い清められたことから「いも観音さん」と呼ばれるようになったといいます。昭和の初めまでは、仏像を川へ持ち出し、泥土を落として洗い清めるという夏の行事もあったのだそう。奈良時代、藤原不比等の子からの創建以来、この地に住んだ藤原一族が守ってきたと伝えられている安念寺は、今もその末裔であるこの集落の10戸の住民によって大切に守られています。
「いも観音」。不思議な呼び名ですが、口にだしてみると、なんともゆるく親しみある響きにも感じられます。傷みの激しい「いも観音」の姿は、村の人々から撫でられ、抱えられ、川で清められ、身近な存在としてその生活にずっと寄り添ってきた歴史そのもの。長浜市など湖北のエリアが「観音の里」と称される所以は、観音像や指定文化財の数ではなく、篤い信仰と親しみをもって地域の仏像を大切に守り継いできた人々の生活やその精神文化が今もなお息づいているからこそだといわれますが、安念寺の「いも観音」にもまさにそれを感じます。
今回、安念寺を訪れた際に「観音の里念持仏カード」(2)という小さな解説カードを手に入れました。長浜市内の各お堂で販売されているそうで、表面には仏像の写真、裏面には各お堂の歴史や地域の行事などが簡単に記載されています。つい、集めたい! と思わせられるなかなか良いカードです。1枚200円、売り上げは各お堂の維持管理に役立てられるそう。もしも湖北の”観音めぐり”を楽しむ機会があれば、こちらも手に取ってみて下さい。

(酒井千穂)

(1)
観音の里 びわ湖・長浜
https://kitabiwako.jp/kannon

(2)
「観音の里念持仏カード」NPO法人花と観音の里
https://www.hana-kannon.net/%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E3%81%AE%E9%87%8C%E5%BF%B5%E6%8C%81%E4%BB%8F%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89

天王山安念寺

天王山安念寺

unnamed (3)

信長の比叡山焼き討ちの際は田んぼに隠したとされる仏像(通称いも観音)

信長の比叡山焼き討ちの際は田んぼに隠したとされる仏像(通称いも観音)

損傷は激しいが、村の人々によって大切に守り継がれている

損傷は激しいが、村の人々によって大切に守り継がれている

観音の里念持仏カード

(2)観音の里念持仏カード