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#202

宮沢賢治の「牛」
― 北海道苫小牧市

北海道南西部の太平洋沿いに位置する苫小牧市は、人口17万人ほどの漁業と工業が盛んな町です。その苫小牧市の中心部、十字路の一角に、控えめに一つの詩碑が建てられています。かつて宮沢賢治が苫小牧市を訪れた際に詠んだ詩が刻まれています。

「牛」詩碑。2017年に建立しました

「牛」詩碑。2017年に建立されました

まずはその詩をご紹介しましょう。


一ぴきのエーシャ牛が
草と地靄に角をこすってあそんでゐる
うしろではパルプ工場の火照りが
夜なかの雲を焦がしてゐるし
低い砂丘の向ふでは
海がどんどん叩いてゐる
しかもじつに掬っても吞めさうな
黄銅いろの月あかりなので
牛はやっぱり機嫌よく
こんどは角で柵を叩いてあそんでゐる

賢治が苫小牧を訪れたのは、大正13年521日のことでした。当時、花巻農学校に勤めていた賢治は修学旅行を引率して18日から23日の日程で北海道を訪れました。札幌から岩見沢経由の汽車で苫小牧に到着したのは午後8時、一行は駅前に存在した富士館という旅館に宿泊します。その夜中、賢治は前浜のほうから響く海鳴りに導かれるように散歩に出かけます。前浜までほぼまっすぐに延びる停車場通りと呼ばれた大通りを歩き、約1.5km先にある海岸まで向かったとされています。この時の体験をもとに「牛」が詠まれ、後に『春と修羅 第二集』に収められました。
詩の内容と照合しつつ、少々足跡を辿ってみましょう。まず、牛が遊んでいるという情景は、かつて前浜付近に実在した中村牧場という牧場がモデルとされています。ちなみにエーシャ牛(エアシャー牛)というのは、明治から大正にかけての乳牛の奨励品種で、スコットランドより輸入されていました。3行目のパルプ工場というのは、現在も町のシンボルとなっている王子製紙を指しています。当時、王子製紙付近の商店街はまだ珍しかった電気の明かりが灯されていたそうです。熱気を含んだ明るい街並みとは対照的に、暗く荒々しい波が叩きつける海の描写が印象的ですが、あるいは賢治が海辺に着いた時、苫小牧特有の海霧に包まれて、なにか幻想的な雰囲気が漂っていたのかもしれません。

明治43年の操業以来、現在も町の中心地で日夜稼働を続ける王子製紙の工場

明治43年の操業以来、現在も町の中心地で日夜稼働を続ける王子製紙の工場

海岸のようす。一時期は浸食のため砂浜が失われましたが、「ふるさと海岸」と名付けられ砂浜の再整備が行われました

海岸のようす。一時期は浸食のため砂浜が失われましたが、「ふるさと海岸」と名付けられ砂浜の再整備が行われました

賢治の確かな観察眼に基づく情景描写と、優しく牧歌的でどこか艶めかしささえ感じる作風が魅力的な「牛」ですが、実は草稿段階ではより寂寥感の強い詩調でした。その変化の真相は定かではないにせよ、読む毎に味わいが深まるような「牛」を通して、賢治の詩心を堪能できるだけでなく、往時の苫小牧の風景が垣間見えるのもまた興味深い点でしょう。

参考
斉藤征義(1979)「苫小牧の「牛」」『イーハトヴ通信 新修宮沢賢治全集第4巻 月報6』筑摩書房
中口泰平編(2021)『賢治&苫小牧 No.1』宮沢賢治と苫小牧の会

(加藤綾)