4)路上観察から“多治見ならでは”をあらためて知る
来年2016年の開館に向けて、タイル館は多治見市内外への周知を意図したプレ展示やイベントを企画している。その中心人物として奔走するのがタイル館の学芸員である村山さんだ。
開館前の第1回企画となるプレ展示「藤森照信とタイルと多治見 展」が2014年8月、多治見市学習館オープンギャラリーで開催された。
——多治見市役所の職員さんが1999年に多治見で開催された「路上観察」の資料を保管しておられたんです。写真資料、スライドなど貴重なものですが、他ではあまり紹介されてこなかった。多治見市モザイクタイルミュージアムを設計される藤森先生を紹介するのに、藤森先生が多治見でされた路上観察を今一度ひろく紹介しながら、モザイク浪漫館の収蔵資料と重ね合わせつつなにかやりたいと考えました。
その資料とは、1999年に各務さんらが地域イベントの一環として藤森氏ら「路上観察学会」メンバーを招いて、多治見の「路上観察」を開催したときのものだ。
「路上観察」とは、藤森氏が1986年に、現代美術家である赤瀬川原平氏(1937-2014)やイラストレーターの南伸坊氏(1947-)らと立ち上げた「路上観察学会」の活動のこと。その名の通り「路上」をフィールドに、それぞれ独自の視点で観察し、再発見・再評価をしていく活動だ。今ではひろく一般的になった、まちあるきを浸透させるきっかけとなった運動とされる。
そこで、村山さんが企画協力を打診したのが美術家の中村裕太さんだった。中村さんは、その意向に対してこう応えた。
——1999年に路上観察学会のメンバーがまちあるきしたルートがある程度特定できたので、同じルートをタイル目線であるいていったら何が見えてくるのだろう? というねらいで、ふたたびまちあるきをしました。すると、路上観察学会のひとたちが切り取った視点の内外に、実に多様なタイルの使われかたを見出せたんです。それを記録した写真と、モザイク浪漫館の資料を組み合わせて見せていきましょう、と。
活動の拠点である京都で、まちあるきを企画することの多い中村さん。
——京都は焼きものの産地ではあるけれどタイルはあまりつくられていないんです。需要地としての京都で見られるタイルは、ファサードの腰壁にモザイクタイルやスクラッチ風のタイルが使われることが多いです。また、京都の町家建築は密接しているため、火災の際に火が燃え移らないようにファサード全面にタイルが貼られていたり、という印象です。
一方で、実際に「タイル目線の路上観察」をして「多治見では、京都では見られないようなモザイクタイルの使われかたがありますね」と、こう読み取る。
——多治見のタイルは、色とかたちのバリエーションが豊富です。ふつうにタイルを貼るのではなく、見本帳のようにして自宅の玄関にタイルを貼られている方だとか。それに、家の軒先にタイル貼りの流し台や防火水槽が置かれていたり、さまざまな使われかたをしているのが見受けられます。それから地元のひとと話をすると、タイル産業に従事されている方が多く、農閑期には内職でモザイクタイルを貼板(はりばん)に並べ、裏から紙貼りする仕事をしていたという話も伺いました。
展覧会を経て、村山さんも手応えを感じる。
——多治見市モザイクタイルミュージアムを設計する藤森先生は、15年前に多治見のまちを路上観察し、記録しました。その記録を紐解きながら、今度は多治見のまちを「タイル目線で改めて路上観察する」試みを実践してみると、ただタイルだけを見ているよりも、多治見のまちの推移と連動させてタイルを見ることになり、ずっとストーリーが浮かびあがってくるな、と思いました。藤森先生は、多治見のタイルの原風景として採土場をモチーフにされたわけですが、わたしたちもミュージアムという施設だけにこだわるのではなく、原点として自分たちの暮らすまちにもう一度目を向けることが大切だと感じた展覧会でした。
この展覧会は、新しく訪れるひとたちに多治見や笠原というまちを紹介し、また地元に住むひとたちにとっても自らのまちを見直す機会となった。路上にある、ことさらに注目はされていないものたちの価値を改めて見直そうとした「路上観察学会」による取り組み。ミュージアムのできる15年後、ふたたび多治見のまちを再読し、改めて多治見のまちの価値を見出す手がかりとなったのではないだろうか。