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アネモメトリ -風の手帖-

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#35
2015.11

現代に生きるタイル

後編 再び見いだし、未来につなげる 多治見の取り組み
2)くまなく集め続ける「モザイク浪漫館」

多治見市街地から南東へ5キロ、車でおよそ10分、笠原のまちを見渡せるゆるやかな坂道の途中にモザイク浪漫館はある。案内でもされないかぎり見過ごしてしまいそうな、小さく古い平屋建ての建物である。「置き場所がなくいろいろな場所を転々としていて、空いてる建物を借りただけ」と各務さんがいうその建物は、元授産所だったそうだ。
モザイク浪漫館に入ってみる。

すると、入口からつづく廊下にさまざまなタイルの資料が奥のほうまで連なっているのが目に飛び込んでくる。タイルひとつとっても、戦後どこにでも使われたふつうのタイルから、山内逸三が焼いた施釉磁器質のモザイクタイルなど、今では貴重な美術タイルまでさまざまだ。壁という壁にはメーカーや商社が製品として販売するためにタイル実物が台帳に貼られた「タイル見本台帳」が張り巡らされている。棚には金型や図案帳、メーカーカタログやタイル業界誌まで並ぶ。床にはタイルを並べてシート張りするための張板(はりばん)が山積みに。頭上高く積み上げられた外のコンテナのなかにはタイルピースが詰め込まれている。何処を見てもタイルだらけの手づくり感あふれる濃密な資料館だ。

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笠原モザイク浪漫館に収蔵されているさまざまなタイルアーカイブ /(下から2点目)解体された東洋学園大学のフェニックス・モザイクの断片。建築家の今井兼次(1895-1987)によるデザインと制作指導 / (下)和モダンな花の図案がモザイクタイルであしらわれた流し台。笠原の製陶所にはもともとデザイナーがおらず、家族経営の製陶所の主人が、妻のもとに届く婦人雑誌のスウェーターの編み図を見てタイルの図案を考えたりもしていた

(上から)笠原モザイク浪漫館に収蔵されているさまざまなタイルアーカイブ / 解体された東洋学園大学のフェニックス・モザイクの断片。建築家の今井兼次(1895-1987)によるデザインと制作指導 / 和モダンな花の図案がモザイクタイルであしらわれた流し台。笠原の製陶所にはもともとデザイナーがおらず、家族経営の製陶所の主人が、妻のもとに届く婦人雑誌のスウェーターの編み図を見てタイルの図案を考えたりもしていた

これらはみな、笠原のタイルに携わるひとたちが長い時間をかけて収集してきたタイル産業のアーカイブ資料だ。
タイル文化を後世に残すことを目的に、タイルの収集がはじまったのが1990年代の初頭。有限な資源を無計画に消費してきた反省と社会的な責任を感じた各務さんはじめ笠原町商工会のメンバーが有志となった。「最初は廃業する商社の倉庫の片隅に残されて埃で真っ黒けになっていたようなタイルや台紙に貼られたタイル見本帳なんかを集めていた。ほとんど廃品回収みたいなものだったね」と各務さんは回想する。以来、その収集活動は現在まで続いており、四半世紀となる。

しかしこの施設のとりわけ興味深い点は、いわゆるタイルのピースや見本台帳だけではない。浴槽、流し台、銭湯のタイル絵、タバコ屋のウィンドー、そして何処かの建物の壁や床などの一部と思われる解体部材など、タイルが貼られているありとあらゆる断片が所狭しと並べられているのだ。それらが建物内外に雑然と置かれ、その物量の迫力に圧倒される。
これらの多くを自ら解体現場に向かい、まさに「廃品回収」しているのが、モザイク浪漫館の館長である安藤隆望さんだ。
各務さんは安藤さんについて「タイルの収集活動を始めて10年くらい経ってから、同級生のあんちゃん(安藤さん)が手伝ってくれるようになった。それからずっと手伝ってくれて、とても熱心にやってくれるもんだから、館長をお願いした」と語る。

モザイク浪漫館の館長、安藤隆望さん

モザイク浪漫館の館長、安藤隆望さん

——戦後は、タイルやれば儲かる、ってみんな思ってた。タイルが売れすぎるから量産ができるトンネル窯が使われ出したのが1955年くらいから。当時笠原のまちには200本くらいかな、たくさんの煙突が建っていたの。

そう語る館長の安藤さんは、小学校時代の10歳から、笠原で3本の指に入ると言われたタイル商社に住み込みで仕事を手伝いはじめた。「学校なんか行ってる暇あらへんかった」という安藤さんは、26、27歳のときには西は岡山、東は浜松や信州のほうまで、20〜25キロ分のタイルが入る鞄を担いでタイル屋に営業してまわったという。現在でもそのときの山田商店を引き継いで商売を続ける73歳の現役、モザイクタイルのまち笠原とともに歩んできた生き字引だ。

ともに多治見や笠原を歩いたことのある中村裕太さん曰く、「安藤さんは貼られているタイルを見るなり、年代と製造元をどんどん判定していく」とのこと。タイルに携わること60年を越える安藤さんのタイルの目利きは、経験に裏打ちされ職人技に近い。

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青年期の安藤さんが日本各地に営業するときに使っていたタイルを入れる鞄

青年期の安藤さんが日本各地に営業するときに使っていたタイルを入れる鞄

そんな安藤さんがモザイク浪漫館の館長となってからは、各方面から安藤さんへ「タイルのある建物の解体情報」が舞い込んでくるようになった。現在ではそれを安藤さん自ら足を使ってタイルの収集作業に動いている。具体的にどう進めているのだろうか。

——「あそこのタイルの建物が解体される」といろんなところから情報が入ってくるから、まず行って、いつ壊すとか、どこが不要かを解体業者に聞いて、どんな施工方法かを調査する。木造の場合は昔から土壁に直接タイルが貼り付けてある施工方法だからはがすのもラク。昭和26、27年ぐらいからラス網というネットに貼りつけたタイルの施工法ができたけど、それは弾力があってなかなか取れないんだわ。それで、解体道具を持って2tや4tトラックで出直してくる。タイルだけ取るとバラバラになりそうなときは、壁にくっついたまま壁ごと持ってくる。解体にも手順があるけど、壁の場合はラクなの。土間の場合が難儀なんだわ。運ぶときは、丸太材のコロの上を転がしたり、てこの原理で持ち上げたり、ひとりで運び出して浪漫館まで持ってくる。

口で言うのは簡単だが、とても真似をできるような作業でない。タイルの施工法にまで精通した知識あってこそ可能なアーカイブ作業だ。また、解体前にどのような建物だったか、どのようなタイルの施工状況だったか、写真やタイル調査票で詳細に記録している。そのアーカイブ活動に関する調査の蓄積だけでも膨大だ。

——わたしはボランティアでやってるの。お金出されて拘束されちゃうのが嫌だから、この立場のままがいいね。

と安藤さんは笑うが、タイルとともに生きてきた安藤さんの生き様そのものといってもいいタイルへの情熱が、モザイク浪漫館には随所に感じられる。
安藤さんや各務さんをはじめ、さまざまなひとたちの熱意と地道な活動で集めたタイルサンプルと関連するアーカイブ資料は1万点を越える。そんなモザイク浪漫館のコレクションは、そのまま貴重な笠原の産業・文化遺産である。これらの遺産を後世に引き継ぎ、多治見・笠原のタイル産業の未来を描く、次なる一手が多治見市モザイクタイルミュージアムなのである。

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(上2点)解体現場でのタイルの様子を記録したアルバム(下)タイル調査票には安藤さんが収集したものがスケッチも交え詳細に記録されている

解体現場でのタイルのようすを記録したアルバム / タイル調査票には安藤さんが収集したものがスケッチも交え詳細に記録されている