アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#87
2020.08

これからの経済と流通のかたち 市やマルシェ編

1 京都・西陣 環の市
4)自宅と事務所の開放 「楽しい」と「おすすめ」

始めたころの市のありかたは、石川さんにとって出発点であり、拠りどころでもある。

———大切なものを、大切に分かち合えるひとに知ってもらいたい、という活動を静かに続けていた感じでしたね。主催としてはもちろん、ちゃんと売れなくてはという緊張感はいつもありますが、あまり売れないときでも、売れなくても楽しかったね、と言ってもらえて救われていました。自分が買いに行きたい出店者と品物ばかりだから、出てくれてありがとう、という気持ちです。

だから、出店料をもらう気にはなれなかった。出店者の方たちから、ちょっとしたものや言葉をもらったりして、お金ではないかたちで、ごく自然に感謝の気持ちを受け取れることで、石川さんはじゅうぶん満足だった。
小さな集まりで生まれた、物々交換のようなものと気持ちの循環。おすそ分けのようなやりとりは、どこか懐かしく、心温まる。

2、3年も経つと、出店者やお客からのつながりが広がって、多くのひとがやってくるようになった。とはいえ、和気あいあいとした空気はそのままだ。たとえ混雑していても、お客たちはゆったりとした時間を過ごしていく。「ランチを食べ、品物を見て買って、お茶飲んでお菓子を食べて」と。
ひとつには、場所の魅力があると思う。ベジサラ舎も心地よかったが、いつもの会場は石川さんの自宅である。誰かの家を訪ねるというだけで好奇心が湧くものだが、石川さんの家は路地奥の町家という風情に加え、夫で建築家の坂井隆夫さんが改装し、快適に整えられている。
とはいえ、家を開放するには労力もかかるし、それなりの気遣いも必要だ。そもそも、なぜ自宅だったのだろうか。すると、あっけらかんとした答えが返ってきた。

———元々家にひとを呼んでご飯を食べたりするのが好きだったんですね。ここで一人暮らししているときから、2階に20人とか、車座になって座ってもらって、料理を運んだりして。そういうときも、「今日はあのひととあのひとを呼んだら面白くなるんじゃないか」っていう感じだったんです。
環の市は、それがもうちょっと公になったというか。うちの家にお客さんを招いている延長線上に、お店のひとがいるっていう。「わたしが買いたいから、この売り子さんに来てもらったけど、(あなたも)買いませんか?」みたいな感覚です。

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自宅と事務所は2棟の町家がつながったつくり。上から自宅のキッチン、1階の坂井隆夫(石川さんの夫)事務所、2階の石川さんのアトリエ。場所が足りなくなって、ついに寝室を開放したことも

場所をひらいて、ひととひとを引き合わせ、そこから生まれる何かを楽しむ。そんなふうに場をオーガナイズしてきた積み重ねが、今につながっている。市を始めた動機も、自宅で開催することも、石川さんにとっては「自然な流れ」だ。
その流れのなかで回を重ねるうちに、当然変化も起こってくる。出店者の顔ぶれや品物も変わるし、お客が増えると、会場も手狭になる。そのなかで、どうしていきたいのか、試行錯誤しながら、石川さんは環の市の輪郭をより明確にしてきた。
もっとも優先しているのは、先にも書いた通り、まず「自分と出店者が楽しい」市であることだ。

———最初のメンバーがすごくよかったから、その空気を大切にしているところがあるんですね。誰かがすごく負担だと思ったり、しんどい、あんまり楽しくないって思ったとしたら、わたしは続けられないと思うんです。わたし自身が楽しむこと、出店するひとたちも楽しいことが守られるのは、けっこう大きな趣旨なんですよね。そこはすごく気を遣っています。
市を開いているあいだはやらなあかんことがいろいろあるんですけど、「忙しくて施術(マッサージ)が受けられない」とかはナシなんです。絶対受けたい。「主催のひとどこ行ったん?」となっても「いません! 布にくるまれて(マッサージを受けて)います!」みたいなね(笑)。
ランチもそうで、スタッフが食べられないとかはナシにしたいんです。だから、スタッフの分を確認してから、一般のお客さまの募集人数を相談します。

もちろんお客は歓迎だけれど、ここではお客も売り手も、みなが同じ地平にいる。お金を払うひとが偉いわけではないし、真摯なつくり手に敬意も集まる。風通しがとても良いのだ。

もうひとつの大きなポイントは、石川さんが実際に試した実感で、本当に良いと思うものを揃え、熱心に「おすすめ」するところだろう。

———最初は出てもらえて光栄なママ友のラインナップでしたが、そこからつながって、今のわたしが本当に食べてもらいたい、飲んでもらいたい、暮らしのなかで使ってほしい「おすすめ」のひとにお声がけする割合が増えてきました。たとえばママ友の第2子出産ブームで、みんなが出店できないというタイミングで、わたしが他のマルシェで客として買い物していたサーモンの佐々木さんに声をかけたり。あるいは、いっときコーヒーを飲まない生活をしていたんですが、そのタイミングで、日本茶の岡村さんに出会って、出てもらうようになったりとか。

自分が心底惚れ込んだひとしか出てもらわないから、出店者とひとつ、ひとつの品物に対する思いは並ではない。それは石川さん手書きのポップひとつにもよく表れている。たとえば、岡村さんのところではこんな感じ。「日本各地の茶農家を一軒、一軒訪ね歩いて買い集めお茶です。主催石川は10種類家に常備して、飲み分けて楽しんでいます」
こんな実感のこもった文章が、出店者すべてのコーナーに貼ってある。

———ほんまに「おすすめ」したい、自分がいいと思ったものしか置いてないですから。売っているひとが勧めると押しつけになるんですけど、その間でわたしが勧めることによって、売れにくいものも手に取ってもらえたりするんです。
環の市では、試飲や試食を積極的にしてもらっています。お茶とかは好みもあるし、わたしがウーロン茶を勧めても「緑茶しか飲みません」っていうひともいる。その場合でも、試飲ができるから「とにかく飲んでみて」と言うことができる。岡村さんにしても、お茶を飲んでもらって目の前で「おいしい」って言ってもらえるっていうのはすごく大事だと思っているんです。

良いと思うものを客観的な第三者の目線から勧める。さらに、お客に一歩踏み込んでもらって、試してもらう。
だから、環の市にきたお客は、ゆっくり滞在しながらも、テンションは高い。自分自身で、手間ひまかけて、ほしいものを選びとるからだ。それは、効率的な購買行動とは真逆にあるといっていい。来歴もふくめて、そのものをよく知り、確かめてから手に入れる、能動的な消費レッスンの場でもある。

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(上)石川さんの愛あるおすすめコメント。環の市のSNSでも、出店者や品物のことをとてもていねいに紹介している / (下2点)初回からずっとつくり続けているフライヤー。これをつくるために、ソフトの「イラストレーター」を導入したほど力が入る。今後は冊子の制作も考えているそう(上から1、3点目 撮影:成田舞)