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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#86
2020.07

小さいこと、美しいこと

3 「美の基準」とともに、まちの物語を編みつづける  神奈川・真鶴町
5)「美の基準」を平たい言葉で翻訳し、紡いできた10年間
真鶴町役場 まちづくり課・卜部直也さん2

『美の基準』の扉頁には、こう記されている。

本デザインコードは、町、町の人々、町を訪れる人々、町で開発をしようとする人々がそれぞれに考え、実行していくべき小さなことがらを一つひとつ綴っています。

「美の基準」は真鶴のまちについて、考えるための道具だ。卜部さんの取り組みは、「美の基準」の運用方法を確立する一方で、住民の生活に「美の基準」を自分ごととして取り入れてもらうことだった。
例えば誰かが家を建てるとして、施主は行政の担当者と話をしながら、どうしたらいいかを考える。壁をピンクにしたいなら、赤系のどういうトーンだったらまちと調和し美しいのかをともに考えるスタイルに行き着いた。

———現場の状況に合わせて、きめ細かい対応ができるのがこの基準のよさなんです。そうすると日本の景観に質がでてくるというか、現場の文脈に合った景観ってなんだろうって一緒に考えることができる。そういうことを何百回という協議の積み重ねから発見していきました。「お客様の家が心地よくなって、真鶴らしさという付加価値をつくっていく。それを一緒に共同作業で探していくんですよ」っていうスタイルですね。

時間と労力のかかるやりかただが、この過程こそが「美の基準」をつくった意味なのではないだろうか。
「美の基準」のルールは、誰もがすぐに理解できるものではない。経済のように、それぞれの暮らしに直接関係するものではないし、何より「美」はわからない、という反応も多いだろう。だからこそ、広く根づかせるための努力も必要だった。

———誰かを呼んでイベントをしたり、大きなシンポジウムをしたりしても打ち上げ花火で終わってしまう。そんななかで、2004年に景観法ができたときは、最後のチャンスという想いで、1年間集中して、広報連載から始めて、成人学級を毎月やったり、まち歩きやワークショップをやったりして、あらゆるアプローチから「美の基準」のよさをもう一度みんなで考えました。そこでようやく町民のなかにも「美の基準」が落とされて、「背戸道」という言葉が一般に広がったり、住民自らが活動していこうという試みが始まったんです。
10年間を経て、「美の基準」の翻訳作業がだいぶこなれていった。「ひとだまり、ヒューマンスケールとか人の気配が大事」「様式美ではなく、人間中心のまちを大切にしている」「働く風景や、ひとだまりをつくる人々の生活風景が美しい」とか。住民の方々にもわかる、平たい言葉で紡いでいく10年間だったと思います。

真鶴を語る言葉が多様になった2010年代半ばに、真鶴出版や松平さんなど、発信することのできる移住者たちがやってきた。豊かな言葉が広く伝えられ始めた、ともいえる。

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(上)「美の基準」に基づくまちづくりで、よく例にあがる家。ピンクという希望が、この色に落ち着いた