アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#32
2015.08

状況をデザインし、好循環を生みだす

前編 つくり手と一緒に考え、つくり、発信する
6)有田焼の新しい時代をつくる その3
過去を尊重しつつ、未来を見る

1616 / arita japanという新ブランドの名称は、1616年、有田で陶祖とされる李参平が日本で最初に陶磁器をつくったことをふまえている。
それ以来、有田には400年にわたってさまざまな文化を吸収してきた歴史がある。およそ10年ごとに新しいスタイルや技法などが生み出され、初期のころにはヨーロッパの貴族に向けて、見たこともない洋食器やコーヒーカップなどをデザインしていた。
「過去の有田のひとは未来しか見ていなかった。伝統を超えようとしたひとはいたけれど、守ろうとしたひとはいなかった」と柳原さんは言う。だから「過去を尊重しつつ、未来を見る」ことができるはずで、1616 / arita japanでは有田焼の伝統を踏襲しながら、これまでの有田焼にはないデザインを試みたのである。
過去にヨーロッパで出回っていたときのように、世界中の食卓でふたたび有田焼を使ってほしい。そのために、柳原さんはフォークやナイフを使うような現代の食生活のための機能や素材をさぐるところからスタートした。ラインナップとしては、有田焼初期のグレーの色味を実現した、多様な食生活に対応する「スタンダード」のデザインを柳原さんが、日本の伝統色を再解釈した「カラーポーセリン」のシリーズをオランダ人のショルテン&バーイングスが担当し、開発はすすめられていった。
このように、ブランド開発をする最初から、柳原さんは世界で展開するという発想で進めていたのである。百田さんはその考え方にも惹かれていた。

——柳原さんと話していると「そういう考え方でやればいいのか」というような新鮮なことがいっぱいあって。それに、柳原さんは最初から「世界ブランドをつくりましょう」「世界中の家庭で使えるスタンダードをつくろう」と言ったんです。日本を発信しようとか、日本だけでブランドをつくろうと思っても上手くいかないからって。その軸がぶれていないんですね。
柳原さんの場合は最初から「世界」だし、「日本を発信しよう」っていう考えがないじゃないですか。他のデザイナーさんだったら、日本をどうやって発信して海外で売るかですよね。彼はそうじゃない。融合させたり、海外の暮らしに合うようにプレゼンしたりして、世界に受け入れられるのが世界のブランドだ、と。口で言うのは簡単ですよ。でも実際やっているひとはそんなに多くないと思います。彼の強みはそこですよ。

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(上)柳原さんがデザインした「スタンダード」シリーズより(下)ショルテン&バーイングスの「カラーポーセリン」シリーズより

(上)柳原さんがデザインした「スタンダード」シリーズより(下)ショルテン&バーイングスの「カラーポーセリン」シリーズより

柳原さんとの仕事に手応えを感じながらも、百田さんが取り組んでいたのは「誰もやらなかった新しいこと」だったから、そう簡単には進まない。地元であれこれ言われたりもしたし、窯元にも最初からすんなり乗ってもらったわけではなかった。

——あのころは「あいつらは何をやってるんだ?」とか「あれは有田焼じゃない」とかいっぱい言われましたよ。ただし、一切助成金とか使わなかったですけどね。
制作を頼んだ窯元は3軒あったんですが、彼らにはかなりキツいことも言いました。もう伸るか反るかだから。「最初の在庫分は買い取るから、その代わり本気でやってくれ。中途半端にやるんだったらいつ降りてもらってもいいから」とかね。実際につくるのは彼らですから。彼らも10ヵ月これにかかりきりでしたね。

プレッシャーは半端ではなく、百田さんはストレスから爪がぼろぼろになり、窯元のひとりはあまりの体調不良により、MRIを撮りに行くなど、大変な状況に陥っていた。けれど、誰もそのことは口に出さない。耐えに耐えて、目の前のことに精一杯取り組み、進めていった。
そうして柳原さん、百田さん、窯元の3人をはじめ、それぞれがやるべきことをやり遂げて、1616 / arita japanは鮮やかにデビューしたのである。
2シリーズ、全80型を提げて、パレスホテル東京の店舗を始め、ミラノサローネでも取材が相次いだ。特にミラノサローネではニューヨーク・タイムズに取り上げられると、世界の5大プレスが取材にやってきて、デビューと同時に世界にその名が知られることになったのである。それだけでなく、売上という目に見える結果も上がってきた。

——柳原さんは始める前に、このブランドを成長させるにはたぶん5年から8年はがまんしてくださいと言ってましたけど、3年目には結果が出ましたからね。1、2年目から上り調子で良かったんですよ。でも3年目からぐっと伸びました。その時期が思っていたより早くきましたね。
売れ筋は20アイテムくらいありますが、満遍なく売れていますね。不良在庫は抱えていません。海外も18ヵ国ぐらい出ています。それに加えて、ミラノサローネでの発表以来、世界のトップブランドからも生産の依頼が来るようになって、Georg JensenとかHAYなどのOEMも何万個か取ってますから、順調に仕事が入ってきています。日本と海外の売上の割合は、日本3分の2、海外はOEMも含めて3分の1です。

1616 / arita japanは、百田陶園の看板ブランドになっただけではない。有田焼の新たな顔として世界に受け入れられ、有田の一大好循環を生むもとになっていくのである。

* original equipment manufacturingの略。発注する側のブランド商品として生産すること。

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