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アネモメトリ -風の手帖-

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#32
2015.08

状況をデザインし、好循環を生みだす

前編 つくり手と一緒に考え、つくり、発信する
4)有田焼の新しい時代をつくる その1
百田陶園・百田さんと出会う

ここからは、柳原さんをデザイナーとして、有田焼の新ブランド「1616 / arita japan」を立ちあげた百田陶園・百田憲由さんにも話を伺いながら、柳原さんの仕事を見ていきたい。ひとつの会社の再生を賭けたブランド開発が、そののち、県と外国も関わる一大プロジェクトへと発展していった話でもある。

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(上から)百田さんと柳原さん / 「1616 / arita japan」のTY「スタンダード」シリーズ。柳原さんがデザインを担当。多様な食生活に対応 / 同じくSB「カラーポーセリン」シリーズはオランダ人デザイナー、ショルテン&バーイングスによる。日本の伝統色を再解釈した

(上から)百田さんと柳原さん / 「1616 / arita japan」のTY「スタンダード」シリーズ。柳原さんがデザインを担当。多様な食生活に対応 / 同じくSB「カラーポーセリン」シリーズはオランダ人デザイナー、ショルテン&バーイングスによる。日本の伝統色を再解釈した

2010年秋のこと。柳原さんは東京で、とある打ち合わせに向かっていた。
内容は有田焼の地元商社がパレスホテル東京に出店する際の店舗設計。とはいえ、前向きな気持ちではない。知人に紹介された手前、会うことは会うけれど、やんわりと断ろうというつもりだった。
打ち合わせ相手の百田憲由さんは、有田焼を販売する地元の商社、百田陶園の社長である。社運を賭けた大変革を行うつもりで、柳原さんに声をかけた。この出会いがこの先のさらに大きなプロジェクトにつながっていくとは、お互い思いもよらない。

——百田さんと打ち合わせをする前、百田陶園のこと、商品のことを調べました。で、最初は断るつもりで会いに行ったんです。この中身のままでは、インテリアや店舗設計だけではどうにもならないと思ったから。「今のラインナップでパレスホテルに入っても、理想と売ってる商品のバランスが合わないから、その投資は損するからやめたほうがいいです」と言うつもりでした。

有田焼は色絵などで知られる、日本を代表する磁器である。料亭などで使われるきらびやかな器を思い浮かべてもらうといいかもしれない。
有田焼を生産する有田の状況を少し説明しておくと、このころの有田は、最盛期の6分の1まで売上が落ち込んでいた。器をつくる窯元とそれを売る商社で分業が徹底しており、商社だけでも200社くらいある。激減した需要や売上をめぐって、窯元同士、商社同士も仲が悪く、悪循環のさなかにあった。
百田陶園は信頼のおける商社として知られていたが、だからこそ百田さんの危機感は切実だった。百田さんは言う。

百田陶園・百田憲由さん

百田陶園・百田憲由さん

——有田焼は来年(2016年)で400年を迎えるんですが、50年に一度は常にがらっと変革しているんです。守るだけでは続いてきてないんですよね。
戦後のことでいうと、有田は業務用食器で成長して、バブルがはじけてから10年ぐらいは工夫しながら業務用食器の生産で生きながらえていたんですよ。でも、ライブドアの事件あたりから、何をやってもダメみたいな感じになってしまって。そのなかでも一般家庭用の食器、例えばビアグラスとか焼酎グラスに特化したプロデュースをしたりして、けっこう当たって、なんとか食いつないでいたんですけれど、それもそろそろ厳しいな、と。
そんなときにパレスホテル東京から出店のオファーがありまして。1年ぐらい、断りもしないしやるとも言わず、ずっと悩んでいたんです。家賃も高いし、ああいうところでどうやってやればいいのかわからない。でもチャンスだというのはわかってました。
で、最終的にいろんな面で折り合いがついたから、勝負してみようかなと。ここでがらっと変えないと、これから先は無理だというのはわかってましたから。それで、デザイナーさんを10人ぐらい挙げてもらったんです。

ちなみに、パレスホテル東京のアーケードには、富山・高岡の鋳物「能作」や愛媛のタオル「今治浴巾」など、各地の伝統産業も出店している。そこでどんな商品をもって「有田焼」と名乗るのかは、百田さんにとって何より大きな問題だったのだ。

——このとき、僕としてはパレスホテルの「空間」よりも、まずはこれから戦える武器、商品をつくらないと変えられないというのがあった。だから、デザイナーのなかでもプロダクトができるひとを最後に残したんです。いろいろ調べるなかで、柳原さんの手がけた「餅匠しづく」(大阪の和菓子店)の空間とか、お餅だけで勝負したりする考え方が好きで。極端にいうと、有田もあれぐらい振り子を振らないと無理だろうな、と思いました。それに、柳原さんはプロジェクトをスタッフに任せたりせずに、自分でやる方です。いい結果を生むには、ひとりのデザイナーとがっつり組んでやったほうがいいだろう、と。
でも一番の決め手は、柳原さんの感性です。直感で動きますでしょ? あのひと、ほとんど直感ですよ。僕もそうなんですが、そこも合うんじゃないかと思いました。

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「餅匠しづく」の店内 (Photo : Takumi Ota)

「餅匠しづく」の店内 (Photo : Takumi Ota)

いっぽう、仕事を断るつもりだった柳原さんは、百田さんに会って求められていることが店舗設計よりも有田の再生だと知り、「じゃあ、一緒にやりましょう!」と即答していた。

——対面はなぜか夏木マリと土屋アンナのライブハウスだったんですが(笑)、店舗設計の仕事と思って断ろうとしたら、「そうじゃなくて、新しい有田焼をこの店でつくりたいんです」と百田さんが言うんですね。「じゃあ、新しい有田を一緒につくりましょう」と言ったら「はい、柳原さんに全部任せます」と。即答でした。
そこからが百田さんのすごいところで。商品開発のプロジェクトはお店の設計以上にお金がかかりますけど大丈夫ですか、と聞いたら、それも「大丈夫です」と即決なんです。
ブランド開発では、動くお金の単位が違います。ひと型数十万はかかる器の開発を全部で何十型もして、それを持ってミラノサローネなどの国際市に出して、ロゴを決めてグラフィックをやってウェブサイトを立ち上げて、となると数億円です。これまでそんな方はいなくて、「検討します」とか「社内で調整します」とかまず持ち帰られるんですが。だから、そのときはまだ百田さんのことを知らなかったから、「わ! めちゃくちゃお金持ちや!」って思って(笑)。

もちろん、百田さんはお金持ちでも、儲かっていたわけでもない。柳原さんの出したおおよその金額を持って、銀行に融資の相談に出向いていた。百田さんは「社運を賭けて」大借金するつもりだったのである。