9)つくるひとと着るひとで紡ぐ、進行形の物語
2000年代に入ってから、若い世代を中心に、ちくちくと手縫いしたり、ミシンを使ったりして身につける小物や雑貨をつくることが一部で人気となり、ある程度定着している。これは、はじめに書いたような、お母さんやおばあちゃんの手づくりがあまり記憶にない世代が中心の、新鮮な体験としてあるものだろう。だから、無邪気な趣味や楽しみであったりもするけれど、その一方で自分らしさの表現であったり、自己実現の要素が大きいようにも思える。そこにあるのは、素人ではなく「作家」になりたいという気持ちではないだろうか。
木工デザイナーの三谷龍二さんの特集でも少しふれたが、今の時代は「作家」になりやすい。正確にいうと、作家という「肩書き」を得るのは容易いのだ。クラフトフェアやネットなどでつくった品に値段をつけて、「作家です」と宣言したら作家になれて、ギャラリーなどで展示する道も開ける。ハンドメイドの雑貨などを売買する世界的なサイト「Etsy」などを使えば、そこそこ収入を稼ぐこともできるだろう。
行司さんの手づくりは、その風潮とは逆の方向を向いている。「作家」と思われることはかなわん、これで食べていく気もない。経済活動を伴わない、あくまで楽しい趣味だ。
おばあちゃん、お母さんが服やお菓子を手づくりする環境に育って、手芸が好きだった行司さんは、ブランクはあっても、結果的にまだ手づくりが今ほどポピュラーではない時代から、服をつくり続けてきた。友人知人に頼まれるようになってからは、そのひとや、そのひとの個性や状況を思いながらつくるから、結果的に世界にふたつとない「一点もの」をつくってきたのである。
2010年代も中盤にさしかかり、ものとひとの関係は今、ふたたび過渡期に入ったように思う。これからどう変わっていくかは、まだよくわからない。ただひとつ、行司さんのような「受けとるひとのことを思ってつくる」ものづくりに惹かれるひとは、じわじわと増えているように思うのだ。そこでは、ものは単なるものではない。作り手の思いがこもり、使い手が自らになじませていく、進行形のかたちである。
能天気に「手づくり万歳」というのではない。ものを介したひととひとのありようが紡がれていく時間は、すぐにどうこういうものでもない。これからじわじわと、何かが見えてきたり、表れてきたりするのかもしれない。
後編では、自身のお母さんの手づくりを生かすファッションデザイナー、村上亮太さんを取りあげる。