かつて農業が盛んに営まれていた頃、人々の生活は農の行事を中心にまわっていた。春に種を蒔き、秋に収穫し、作物ができない時期には保存食をつくっておくなど、自然の流れに合わせて1年のサイクルを送り、五穀豊穣への祈りや喜びを、さまざまな神事や祭りで表した。農は日々の糧を得るという以上の意味を持ち、農作業のなかで季節を感じることは、心の充足感にもつながっていた。
それがいつしか、お米や野菜は、「スーパーで買うもの」に変わってしまった。同時に、作物のつくり手もつくる過程も「見えないもの」となり、農にまつわる文化も、自分ごとではなくなったように思える。食物にかぎらず、わたしたちの衣食住の生活が、実感を伴わないものになって久しい。
しかし、「そうではない」と、そこに対する違和感をもつ人たちが都市から地域へと動きはじめ、今ではそうした方たちがキーパーソンとなり、地域のありかたを変えるきっかけをつくったりもしている。林業をふたたび育てようとしている岡山・西粟倉村、またデザイナーやアーティストが移り住んだ奈良・東吉野村など、本誌でも何度か、そうした動きを取り上げてきた。
今回は京都・大原で、農業から地域の文化のゆくえを探ってみたい。古い歴史をもつこの土地で、農業はどのように移り変わり、地域に関わってきたのだろうか。移住者はそのなかでどのようにふるまってきたのだろうか。
20周年をむかえた「大原ふれあい朝市」を起点に、取材をすすめた。