アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#22
2014.10

スローとローカル これからのファッション

前編 つなぎ手、伝え手の立場から
5)和装の素材メーカーから、ファッションを発信できるブランドへ
ひなや・伊豆蔵直人1

京都五条坂でファッションや雑貨を売るショップ「HINAYA KYOTO清水五条坂」には多くのひとが集まってくる。NYのデザイナー、スーザン・チャンチオロの展覧会や東京のデザイナーズブランド「matohu(まとふ)」の展示会があったり、関連するトークショーなど、魅力的なイベントがおこなわれるからだ。
なかでも産地直送の生地販売会「テキスタイルマルシェ」がおこなわれるときは、繊維関係者、デザイナーだけでなく、ファッション好きな学生や一般のひとたちも集まり、大変な盛況となる。
京都の老舗和装メーカーの3代目でありながら「HINAYA KYOTO清水五条坂店」を拠点として新しいファッションの方向を貪欲に模索しているのが伊豆蔵直人さんだ。低迷する伝統産業の枠から飛び出して、和装と洋装を結びつけるブランドや古着の再利用からリメイクにいたるプロジェクトを提案し、情報発信をおこなっている。
伊豆蔵さんが家業の「ひなや」に入社してから20年、社長になって6年が経つが、そのあいだに和装業界はとりわけ厳しい時代に入っていた。父の伊豆蔵明彦さんは染織工芸作家としても知られ、二十数年前に草木染めに特化したハンドメイドのミセス婦人服ブランドを立ち上げ、自分たちで製品をつくり、展示会を開いて小売店に販売してきた。今では珍しいことではないが、当時の和装業界ではメーカーが洋装商品を企画から販売まで手がけるのは例外的なことであった。
しかし、環境はさらに激変する。そのきっかけは直人さんが社長に就任した2008年におこったリーマンショックと2011年の大震災だった。ファストファッションが一般に定着していくなかで、いかに技術や質が高くても、それだけでは価値が通用しなくなってきたのだ。和装業界の売り上げを見ても、全盛期の1980年代後半に比べて、現在はその10分の1に落ち込んだと言われている。
事態を打開するために、伊豆蔵さんが最初に試みたのは、自社のテキスタイルを海外のファッションブランドに売り込みにいくことだった。

伊豆蔵直人さん。テキスタイルマルシェ開催時の店内で

伊豆蔵直人さん。テキスタイルマルシェ開催時の店内で

——僕が社長になって最初にトライしたのは自社のテキスタイル、ハンドメイドのクオリティの高い仕事を、メイド・イン・ジャパンとして海外にもっていくことでした。パリのオートクチュールとか、ミラノやニューヨークのラグジュアリーブランドに生地を持ち込み、売り込んだ。大手の「ダナ・キャラン」「プラダ」「ランヴァン」とか。どこにもっていっても評判はよく、いくつかのメゾンは買ってくれました。それに気をよくして、数年間、年に2回のペースでヨーロッパ、アメリカへ通いましたが、継続的な成果をあげていくのは難しかったですね。ネックは価格。当時、為替で円高が進んだこともあり、価格をもっと下げられないかと言われました。 結局、テキスタイルは素材であって、最終製品となる服づくりのなかではコストの一部分。テキスタイルメーカーとして、いかに評価されたところで限界があることを悟りました。自らが、彼らのような価値をもった存在にならなければいけないと痛感しました。

伊豆蔵さんは服の素材をつくるテキスタイルメーカーから、ファッションを発信するブランドをつくるために「HINAYA KYOTO清水五条坂店」をオープンする。

——父は独自のものづくりに徹底的にこだわりましたが、僕はそこにはこだわりを置かず、自社のスタンスを明確にしたうえで、社内外のノウハウを積極的に絡ませることで、さまざまな可能性を拡げて発信していこうと思いました。そこで考えたのが店舗を持つこと。場を持って発信して、ひと、もの、情報が集まるようにすれば、自ずとネットワークが生まれて、新しいチャレンジができる。その拠点となるように店舗を始めました。

「HINAYA KYOTO清水五条坂」に大勢のひとが集まるイベントとして「テキスタイルマルシェ」がある。わたしが初めてこの店を訪れたのも、友人にテキスタイルマルシェに誘われたからであった。これは各地のテキスタイルメーカーが集まって消費者に生地を販売する展示即売会であり、最初は2010年に東京で開かれたが、それ以降は関西でおこなわれている。これはテキスタイルメーカーがふだん会うことのない客にアプローチする企画であるが、同時にこちらもふだん会うことのないメーカー同士が交流を深める機会ともなっている。

——メーカーがお客さんと交流できる場というコンセプトに興味をもって東京で出展したら、大勢のひとが集まる人気イベントでした。その後、テキスタイルマルシェを関西でやりたいとなったとき、それならばうちの店舗で、とお願いをしました。京都ではどんなひとが集まるのか知りたかったというのもあります。アパレルの業界基盤がない京都まで、大阪や神戸から来てくれるのか、学生さんは来てくれるのかなと思ってやってみたら、おかげさまで大盛況でした。来てくれたのは京都の学生さん、自分でものづくりをしているひと、洋裁をしているひとたち。マルシェに関わっているのは関西の繊維業界で顔の広いひとばかりなので、2日間で延べ400人ほど来ていただきました。生地もたくさん売れて、出展者も大喜びでした。それ以降、「テキスタイルマルシェ」は「HINAYA KYOTO店」で定期的におこなっています。
メーカーにしてみれば、マルシェに参加すると日ごろのビジネスとは異なる視点のニーズがわかる。見本で織ったサンプル反や大口のオーダーが入らずに蔵入りしていた生地などを、お客さんが面白いと買っていかれる。そこが面白い。メーカーの方々にとって、お客さんの様々な意見を直に聞けることですごく参考になるのだと思います。

2014年8月におこなわれた第5回目のマルシェには、兵庫の「島田製織」、静岡の「福田織物」などの出展者が見事な技術で織られた布を小ロットでも販売し、来場者との交流を深めていた。今回は会場で「旅する服屋さん メイドイン」「途中でやめる」「nusumigui」「Knitting bird」などの個性的な若手デザイナーがワークショップをおこない、ファッション好きの若者たちの熱気が立ちこめていた。

開店直後から、店内は来場者でにぎやかに。出展者それぞれのていねいな説明があり、客との対話がはずむ。来場者の滞在時間はとても長かった

開店直後から、店内は来場者でにぎやかに。出展者それぞれのていねいな説明があり、客との対話がはずむ。来場者の滞在時間はとても長かった

MG_7136

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(上から)マルシェらしく、エントランスを楽しく賑やかに演出する /兵庫の「島田製織」は自社ブランド「hatsutoki」で試作に使った布も販売していた / ニット専門のWebマガジンの運営も行う「Knittingbird」は好きな糸を選んでストールを編むワークショップを行った / 静岡の「福田織物」が技術をレベルアップするために120番の超極細糸で織った、シルクのような手触りのストール

(上から)マルシェらしく、エントランスを楽しく賑やかに演出する /兵庫の「島田製織」は自社ブランド「hatsutoki」で試作に使った布も販売していた / ニット専門のWebマガジンの運営も行う「Knittingbird」は好きな糸を選んでストールを編むワークショップを行った / 静岡の「福田織物」が技術をレベルアップするために120番の超極細糸で織った、シルクのような手触りのストール

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(上から)「旅する服屋さん メイドイン」の行橋智彦さん。足踏みミシンで路上パフォーマンスを行い、ひととつながる。この日はポケットをひとつ500円でつけていた / 長崎在住、キタコレビルで人気を博した「途中でやめる」の山下陽光さん。京都まで鈍行列車で来る途中、SNSで呼びかけて洋服を車内販売していたのだそう / 「nusumigui」の山杢(やまの)勇馬さん。ブランド立ち上げ当時から、毎週ワークショップを行っている。この日は古着をリメイクし、カバンをつくった。ちなみに左端に写っているのは、山下さんがマルシェ前日に「リコロン」で集まった古着で制作した服

(上から)「旅する服屋さん メイドイン」の行橋智彦さん。足踏みミシンで路上パフォーマンスを行い、ひととつながる。この日はポケットをひとつ500円でつけていた / 長崎在住、キタコレビルで人気を博した「途中でやめる」の山下陽光さん。京都まで鈍行列車で来る途中、SNSで呼びかけて洋服を車内販売していたのだそう / 「nusumigui」の山杢(やまの)勇馬さん。ブランド立ち上げ当時から、毎週ワークショップを行っている。この日は古着をリメイクし、カバンをつくった。ちなみに左端に写っているのは、山下さんがマルシェ前日に「リコロン」で集まった古着で制作した服