5)旅の終わり、ふたたび路地へ
まちへと戻り、前の回で話を聞いた文化局副局長の周さんが教えてくれた「銀同社区」の路地へいった。漁光島芸術祭を歩いてから、また路地にもどって感じたのは、あの島はたしかに、台南府城という歴史あるまちのなかの、ぐるぐると曲がりくねった路地の延びた先に存在していることだ。
銀同という名前は、地域にある媽祖神をまつる廟「銀同祖廟」からきている。また、現・中国のアモイ地区あたりを指す旧・同安県の別称でもあり、このあたりが同安県出身の人々によってつくられたコミュニティであることを示している。
この銀同祖廟、日本時代には道路計画や台南神社の拡張によって排除されかかり、太平洋戦争の空襲で損傷をうけ、戦後もまちの開発のために排除されかかった苦難の歴史を持つ廟だが、現在は猫をモチーフにしたストリートアートなどで、猫スポットとしても人気の観光エリアとなった。
ぐるぐると曲がりくねる路地、窓枠にはめこまれた、曲線カーブの模様を描く鉄製の窓。ぼろぼろと剥げ落ちた空き地に立つ家の煉瓦の壁と一体になった鉢植えから、色とりどりの花が咲きみだれる。
そこにあるアートは、自然と気候と歴史と暮らしというハギレを縫い合わせていく、ひとの手である。
清朝時代の中華文化的なものから、日本時代の近代化と植民地的日本文化、そして戦後になって蒋介石・蒋経国の一党独裁時代に生まれた象徴権威主義的な文化。すべてをひっくるめて、台湾というこの島がまとってきた歴史として大切に守り、未来へ生かすために楽しんでいくという前向きな台南のひとたちの姿勢。そうした心の持ちようは、今回取材してきたなかで、あらゆるものに共通した。
そのなかでアートに課せられていたのは、「手しごと」のような有機的な役割である。そしてまたアートは、バラバラの時代や模様をもった布のハギレを縫い合わせ、1枚のパッチワークに縫い合わせる糸そのものでもある。それは同時に、時の政権や歴史の移り変わりと共に生まれた台南というまちの記憶の断絶を、伝統的暮らしと現代的な開発のあいだに生まれた亀裂を、暮らし方や経済・文化格差による分断という社会の傷を、縫合していく糸であるかもしれない。
縫い合わされた傷口は、時間の経過とともに身体になじみ、花が咲いたような模様を描いて、まちの個性をつくりだしていく一部となるだろう。
都市芸術工作室 UrbanART Studio
https://www.ua-studio.com.tw
漁光島芸術祭
https://www.tainanoutlook.com/activities/yu-guang-dao-yi-shu-jie
取材・文:栖来 ひかり(すみき・ひかり)
台湾在住ライター。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。日本の各媒体に台湾事情を寄稿している。著書に『在台灣尋找Y字路/台湾、Y字路さがし』(2017年、玉山社)『山口,西京都的古城之美:走入日本與台灣交錯的時空之旅』(幸福文化/2018)『台湾と山口をつなぐ旅』(西日本出版社/2018)がある。 個人ブログ:『台北歳時記~taipei story』。2019年10月に新刊『時をかける台湾Y字路』(図書出版ヘウレーカ)を出版予定。
写真:高橋 宗正(たかはし・むねまさ)
1980年生まれ。写真家。『スカイフィッシュ』(2010)、『津波、写真、それから』(2014)、『石をつむ』(2015)、『Birds on the Heads / Bodies in the Dark』(2016)。2010年、AKAAKAにて個展「スカイフィッシュ」を開催。2002年、「キヤノン写真新世紀」優秀賞を写真ユニットSABAにて受賞。2008年、「littlemoreBCCKS第1回写真集公募展」リトルモア賞受賞。