アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#76
2019.09

まちを耕すアート

3 記憶の断片を縫い合わせる 台湾・台南
4)楽園の記憶
漁光島芸術祭2

漁光島にかつてあった楽園は、名前を「秋茂園」という。
秋茂園をつくったのは台南出身で日本へと留学し、大阪で魚油の売買に成功した台湾華僑の黄秋茂博士。当初は台南中心部で開園したが、1976年に漁光島に移設、干支や『西遊記』など中国の物語や神話、孔子や鄭成功などの偉人にちなんだ像のあるテーマパークだ。
現代でいうところの「インスタ映え」スポットで、70年代には絶大な人気を誇り、週末は芋を洗うような人出でにぎわった。80年代に入り、全国のあちこちに新しい遊園地ができると共に秋茂園を訪れるひとも減り、いつしか忘れられ閉鎖となったが、現在50代以上の台湾南部の人々ならば、ここで撮った写真がアルバムのなかに必ずあるというお馴染みの場所である。

回憶成山は、秋茂園の記憶にインスピレーションを得たUrbanART Studioが、当時の秋茂園で撮った記念写真を一般の方々から集めて制作した。
木材でつくられた大小の額縁が組み合わされていて、額縁内の鏡に昔の写真がプリントされている。それを観るひとは、鏡のなかにある写真の人々や風景に映りこみ、共に記念写真を撮ることができる。開放的な浜辺の空間に、過去と現在、記録という行為が入れ子状態で立ち現れる、シンプルな発想だが、滋味ぶかい作品。
国立台南芸術大学の建築芸術研究所によるという作品は、舟の骨組みのような大きな建築物が風を受けて泳ぐように振動する体験型のオブジェ。漁光島の元々の名前「三鯤鯓」からとられたタイトルの「鯤」は、大きな魚を意味し、また『荘子』の逍遥遊篇に出てくる神話的な魚でもある。

2005年ごろの漁光島には、土地をこっそり掘り返しに来るひとが後を絶たない時期もあったらしい。なぜかといえば、太平洋戦争のときにこの地には日本海軍の潜水艇の秘密基地があり、地下に逃亡用の通路が四方に通じていて、日本軍によって何千億円ぶんもの財宝が埋蔵されているという噂が立ったからだ(潜水艇の基地があったという根拠は今のところ定かではない)。失われた遊園地といい、日本軍の財宝埋蔵の噂といい、なんともミステリアスな島である。

そんな島がもつ雰囲気をうまく取り入れていたのが、羽毛や竹といった自然素材を使って幻想的な風景をつくり出す台湾の人気アーティスト・游文富の奇幻島という作品だ。
游は、自身が小学校5年生のときに実際に秋茂園を訪れたときに撮った、シマウマに乗っている自分の写真が手元にあり、子ども時代の強烈な思い出として残っているという。それから40年、今回の作品では、白く塗られた竹串が草原のように砂浜の上にあらわれ、その中心に白い馬のオブジェが立っており2度と戻ることのできない童年期の夢幻性を表現した。
立ち入ることを戸惑わせるような神秘さを湛えながら、誰もがその馬のそばに行って写真を撮ることのできる親和的なこの作品は、この芸術祭のなかの最もインスタ映えするスポットとして、多くのひとを集めていた。

モチーフや素材、想起されるイメージ。どれをとっても、島の成り立ちや歴史をうまく生かしながら、一般的に難解と捉えられがちな現代美術に親しみのもてる場をつくりだしたこの芸術祭において、たしかにアートは、まちと島とをつなぐ架け橋となっていたように思う。

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この時期の会場は昼間はかなり暑いため、夕刻をねらって人出が多かったという。上からUrbanART Studio《回憶成山》 / 游文富《奇幻島》 / 雨果《日落塔》