アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#13
2014.01

暮らしのなかの「うつくしいかたち」

後編 結びあい、育ちゆく芸術と手しごと
4)桜製作所・永見眞一に聞く2 ジョージ・ナカシマのこと
記念館エントランスのジョージ・ナカシマ木彫像

記念館エントランスのジョージ・ナカシマ木彫像

小田急ハルクでの個展のポスター

小田急ハルクでの個展のポスター

そこにアメリカから関わったのが、家具作家としてすでに著名であったジョージ・ナカシマ(1905-90)だった。日系アメリカ人であるナカシマは、ハーヴァードほかで建築を学んだあと、1934年に来日する。チェコ人建築家アントニン・レーモンドの事務所に入所するが、40年に帰国後、自身が最初から最後まで統合しうる新しい仕事として家具の道へと転身を決意した。が、そんなときに日米が開戦。日系二世として収容所体験を味わうが、そこでの日本の伝統技術を踏まえた大工との出会いが彼の木とのつながりに奥行きを与えることになる。その後、収容所を出て、ペンシルベニア州に工房をかまえ、デザインから製作まで一貫した家具づくりを始める。
その代表作が「コノイドチェア」。ナカシマの椅子のエッセンスがつまっている。永見会長に説明していただこう。

———「コノイド」というのは、前が丸くて後ろが水平というシェル構造のことです。ちょうど、ナカシマさんがアメリカのニューホープにこの構造の屋根を持つ「コノイドスタジオ」を建てられたときに、それを記念してつくった椅子なので、この名前をつけられたようです。この「コノイドチェア」は、かたちの面でも、構造的な面でも、画期的な椅子です。ふつう、椅子は4本の脚で支えられます。でも、これは2本脚で、いわゆるカンチレバー(片持ち梁)構造で、座面を支えています。座がまっすぐな背もたれから張り出し、2本の足のみで支えられているのです。見かけは不安定そうですが、決して倒れることはありません。この座面と背の結合部は、建築における、梁と柱を合わせる組み木の技術と同じ技が使われています。二段に入れた臍によって組まれているのですが、この技は、ナカシマさんが、戦時中のキャンプで大工さんに教えてもらった方法だそうです。日本の伝統技法を知るナカシマさんだからこそ生まれた「かたち」なんですね。

コノイドチェア。座ると背筋がぴしっと伸びる

コノイドチェア。座ると背筋がぴしっと伸びる

本社社屋の2階につくられた「ジョージ ナカシマ記念館」内部。椅子がずらりと並ぶようすは壮観だ

本社社屋の2階につくられた「ジョージ ナカシマ記念館」内部。椅子がずらりと並ぶようすは壮観だ

ナカシマは1964年に再び来日し、流政之の仲介で高松に来て、民具連の手づくりと人と人とのつながりの精神に共鳴し、自身がデザインした家具の製作を託した。永見はナカシマから「家具は、人間の体に一番近い場所にあるものであり、おじいさんが買った家具を孫が使うというように、長く愛される道具である」と教えられたという。アメリカの家具作家と日本の、地方の小さな製作所の直接提携で1968年に生まれたのが「ミングレンシリーズ」だ。

———ナカシマさんはふだんなさっている仕事が民具連の趣旨に合うものですから、デザインで参加してくださっていたわけですね。日本でできたものには「民具連」と名前を入れてくださった。

「ミングレンシリーズ」の家具は、デザインはナカシマだが、材は日本固有のものを使った。「ミングレンシリーズ」に限らず、ナカシマのデザイン、桜製作所の作というコラボレーションは今日の木の家具ブームの先駆的なものとなったと言っていい。そして、この、すぐれたデザインに基づく、量産ではなく手仕事こそがそもそもの民具連の求めたすがたを体現しているのだ。
とはいえ、当時、高度経済成長期を迎えた日本では「使い捨て」が美徳とされる。天然ではなく、ケミカルな新素材も歓迎された。さらに、まだ東京から発信しないと広がらない時代。高松で耐久性のある、自然素材によるものづくりにこだわる人々にとって、東京の市場は遠かった。事実上の活動期間は4、5年と限られた。民具連の短命を、永見会長は「売るひとがいなかった」と振り返る。いいものをつくることにつくり手たちの関心が集中してしまい、販売まで目配りができなかった。
しかしながら、世のなかのニーズも確実に画一化から多様性、個性へとひらきはじめる。60年代後半から東京新宿に、あらたにオープンした、インテリア専門館小田急ハルクで、ナカシマの個展を継続的に開催することで、顧客層を着実に広めていった。「見てもらいましょう」「見てもらうことが大事」と意識を切り替え、「個展」開催という当時はまだ珍しいスタイルを試みたのである。
桜製作所でのナカシマの家具のライセンス生産はいまも続き、またものづくりの成果としての、東京・大阪などでの展示会や展覧会、そして永見会長を訪ねての取材が続いている。