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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#9
2013.9

京都 西陣の町家とものづくり

後編 ショップ兼工房としての町家
5)老舗ではないから、できること
グラフィックデザイナー・木本勝也さんの場合2

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(上から)「UCHU wagashi」の木本勝也さん /

(上から)「UCHU wagashi」の木本勝也さん / ハリネズミや羊などの姿が愛らしい「animal」。木型はもちろんオリジナルだ / 落雁には徳島県産の最高級の和三盆糖が使われている

西陣の由緒ある場所で、落雁の店をスタートさせた木本さん。ところが意外なことに、木本さん自身は、西陣でやりたい、町家でやりたいという強い意志を持っていたわけではなかった。

———まったくこだわってはいなかったですね。和菓子に接する機会のないひとに興味を持ってもらうきっかけを提供できるなら、場所や建物はどこでもいいと思っていましたから。強いて言えば、保健所の許可の関係から、土間がコンクリートになっている必要があったことと、お金がなかったので、出せる家賃に制限がありました。それらの条件を満たす物件として、たまたま紹介された1軒目がここだったんです。

なんという幸運の持ち主。しかしそこからが大変だった。友人の和菓子職人にやり方を教わりながら、朝方まで落雁づくりを練習する日々。店は、小さな玄関スペースで、週末のみ営業するかたちでスタートした。和菓子業界においてはまったく新参者であることから、材料や道具ひとつを入手するにも、いちいち困難が立ちはだかった。きっとあの頃の落雁と今の落雁では、ぜんぜん出来が違うと思います、と、木本さん。

———でも、職人とはそういうものだと思うんです。たとえその時には未熟だったとしても、お客さんに、これが今の自分につくれるベストのお菓子です、と言いきれるまでの努力をしているかどうかが大事だと思う。常に自分の限界ギリギリまで仕事をする、それをやめずに繰り返していれば、少しずつでも成長していけると思うから。

落雁づくりにおいては、自身がグラフィックデザイナーであることも、少なからず助けになった。

———落雁は、日持ち重視でつくられているものが多く、正直、おいしくないものも多いんですね。なんでこんなにおいしくないんだろう、と研究してみると、砂糖の質とつなぎの片栗粉のせいだとわかった。確かに、いい和三盆糖を、つなぎなしで固めると崩れやすいんです。でも、だったら崩れにくいかたちにデザインすればいいんだ、って。

そうして自らデザインし発注した木型は、やはりベテランの職人さんにはうまく理解をしてもらえず、仕上がりに満足できないことが多かった。そこで、木型職人を志している若者に、いくら時間がかかってもいいからつくってみてほしい、と託した。とにかく一から自分で考え、自分で工面していかなければ、立ち行かない日々。しかし、その試行錯誤が、「UCHU wagashi」でしか買えない落雁を生んでいく。

———老舗の和菓子屋さんから見たら、僕なんて、きっと雑草に過ぎないでしょう。でも、それでいいと思うんです。森には、大きい木も、小さい木も、雑草もあって、栄養が循環している。西陣も、京都も、そういう多様性のある森みたいな場所だと思うんです。老舗だからこそ守っていけるものあるし、代を継ぐ義務も、従業員を養う責任もない、何も知らない僕みたいな人間だからこそできることもあると思う。

三千家(さんせんけ)を東に擁する西陣は、茶の湯にゆかりの深いまちでもある。店を開いた当初はそのことすら知らなかったという木本さん。が、最近、全国に支部を持つ裏千家の関係者が、何百箱という数の落雁を注文してくれることがあり、襟を正すことも多いそうだ。

———やっていることに自信はありますが、京都の名に恥じないお菓子をつくらなければ、というプレッシャーは強くあります。これまで京都の職人さんたちが一生懸命やってこられたことを汚すようでは、お菓子屋を名乗ることも、伝統を語る資格もないと思うから……。それに、雑草は雑草なりにいい仕事をしていれば、いつか認めてもらえると思うんです。なんや、はしっこの方でやってはるけど、なかなか味はええやないか、そんな風に認めてもらえる日が来れば、うれしいです。

長屋の1棟で始まった落雁づくり。雑誌にも紹介され、仕事は徐々に忙しくなっていった。移転することも考えていた折、たまたま隣の長屋が空いたため、2棟分を借りて現在の姿に改装。それを機に、週末のみの営業から毎日の営業に切り替えたのだった。