アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#145
2025.06

「水」から考える 人と環境

1 アートで捉えるプロジェクト「Water Calling」 京都府京都市
1)「水のつながり」を描く

プロジェクトの最新の成果を示す展覧会が、2025年1月18日から2月16日まで、無鄰菴にて行なわれた。

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南禅寺一帯には別荘や別邸が広がり、それらの庭園では琵琶湖疏水や湧き水、池から引いた水が活用されている。無鄰菴もその一つで、琵琶湖疏水から引いた水がたっぷり流れる庭園があって、展示会場の洋館は、外に実際の水を感じながら展示が観られる場所である。

展示の主な構成要素は、壁面を囲むように飾られた18点のドローイング、中央の展示壁表面の大きなドローイング、その裏にある「リサーチウォール」、モニターの映像作品である。

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洋館の1階。重厚な趣がある。ちなみに、この2階は山縣有朋は伊藤博文らと「無鄰菴会議」を開き、日露開戦前の外交方針について話し合った場所でもある

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(上から)メインのドローイング。裏面はダエロンさんのリサーチウォールとなっている / 手仕事のキルトワークの上に、閲覧用の小冊子(ハンドアウト)を置く / 奥にはモニターを設置し、15分の動画を流していた(キルト制作:Kinone、協賛:フジエテキスタイル 動画:古木洋平)

ダエロンさんのドローイングを最初に見たとき私は、そこに何が描かれているかよりも、その親しみやすく詩的なタッチに惹きつけられた。フェルトペンで描かれているようだ。しかしじっくり時間をかけて見ていくうちに、1枚1枚のドローイングに描かれているのが、水をめぐるさまざまな風景であることがわかってくる。
そして水を描く際、点線や矢印が多用されていることに気づく。最初は可愛らしい装飾のようにも見えたが、見ているうちにだんだんと、点線や矢印は、降り注ぐ雨や、河川の流れといった、水の動きを示すために使われていることを発見する。
ダエロンさんのドローイングが捉えようとしているのは、静止した水の姿ではなく、動きや流れを軸とした「水のつながり」であり、「循環する水の姿」なのだということが、徐々にわかってくる。

会場をぐるっとめぐり、ドローイングに「何が描かれているか」を順番に見てみる。
最初の数枚に描かれているのは、水の循環システムや、太古の地層の運動、「京都水盆」(後述)、地下へと水が染み込むメカニズム、川が水を運んでいく様子などである。絵の中に人間の姿や、その活動の痕跡は希薄だ。おそらく、人間が出現するよりもはるか昔の出来事が描かれている。

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次の何枚かを見はじめると、徐々に絵のなかに人間の気配が感じられるようになる。貴族の庭園で水が活用されている光景、嵐の後の濁流となった川に潜む龍、井戸の仕組み、ヨシ(葦)に覆われた淀川沿いの風景、水場に描かれる龍、水の自然循環と現代の浄水システム、神泉苑と龍神の伝承など……そこに見いだせるのは、人間が文化のなかでさまざまな形で水と関わりを持ってきた歴史だ。

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そして最後のドローイングは、水の流れが見えなくなった現代の都市の風景を描いている。

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このように流れでドローイングを見てくると、水をめぐる壮大なストーリーが伝わってくる。水と人間との関わりを、ダエロンさんのドローイングは、多様な場面から織りなされたひとつの物語のように、あるいは異時同図法で描かれた一連なりの絵巻物のように、私たちに伝えてくれる。
この展覧会の中でドローイングは、「芸術作品」としてよりも、水の物語を視覚的に(言葉でではなく、感覚を通じて)伝えるための媒介=メディウムとして提示されていた。作品自体を目的とするアートではなく、自然の物語をわかりやすく伝えるための「道具」としてのアートのあり方を、体現していたように思う。

実際、ドローイングについてダエロンさんは、「より多くの人々に届くようにデッサンを使う」、「感覚的な方法で答えるということで、より多くの人に課題を呼びかける」と話している。