アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#133
2024.06

境界をなくす 福祉×デザインの「魔法」

2 まほうのだがしや チロル堂ができるまで 奈良県生駒市
3)手を加えずに、最小限で自由をデザインする

三人はチロル堂をはじめるすこし前、いくつかの地域に視察にでかけて、まちづくりのイメージを共有していった。なかでも参考になったのが真鶴町(#84#85#86)だ。半島に広がる景色は、どこか懐かしく、美しい。生活に根ざした風景は、住民たちによって守られてきた。

吉田田 この数十年で失われたものが真鶴には辛うじて残っていて、僕らが一生懸命デザインしてきたものってなんだったんだろうって。元々あったようなものが頑張ったどのデザインよりも上。そのことに愕然とするのは、僕らが少年時代にまだギリギリ人と人とのつながりが残っている世代に育って、素晴らしさとしてその基準があるから。

石田 そのとき真鶴の良さが全然わからなかったから、デザインとかそういうことを学びたいっていうひとつの大きなターニングポイントになった。坂本さんが「どんなにきれいなデザインをつくっても、真鶴に落ちてゆく夕日には1ミリも勝てない」って言ってて、なるほどなって。
ここで表現したかったことも、自然とか本質・本物に敵うものはないって。等身大を表現するとき、一枚なにかを被せるだけで失われていくんだっていうことが、2人と一緒にいるうちにだんだん私もわかってきた。

坂本 どれだけ最小限の手入れでつくれるかが、僕らの考える最上のデザインだと思う。見せたいものを意図的に介入して見せようとする、その作意がさもしさというか、デザインってそういうのじゃないんだけどなって思っていて。

吉田田 ここの内装をするときも「デザイナーがデザインしたことがバレないようにして」って何度も言って。デザイン臭のないものをつくりたかった。真鶴のまちも、住民が良いと思う基準を価値あるものとして守り続けた人たちがいることで、結果として美しい景色をつくっている。資本主義とか合理的近代的な考え方に寄せれば思考しなくていいから楽だけど、それをたくさん我慢したから、素晴らしい光景が一瞬見えるんですよね。

石田 2人は最初からここをカウンターにしようってベンチにして、座敷のほうはちゃぶ台にした。私はそれがいいとか悪いとかわからなくて、へえ、そうなんだって思っていた。ここのベンチは8席って設定してあるけど、春休みになると15人ぐらい詰めて座っているんです。ちゃぶ台もみんな頭を突き合わせて、にじりよって隙間に入ろうとするんですよ。境界線がないんですよね。

吉田田 それがまさにデザイン。本人たちはデザインされていることに気づいていないよね。それが素晴らしいデザインやなあって思う。

「できるだけ手を加えずに、子どもがいやすい場所」をデザインする。最初はその意図がわからなかった石田さんも、日々目の前で起きることを通して、それが体感としてわかってきた。坂本さんや吉田田さんのデザインと石田さんの福祉が有機的につながったのが、チロル堂というかたちだ。

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チロル堂を特徴づけるちゃぶ台とカウンター。いずれも、昼の時間には子どもがひしめき合い、年齢性別に関係なく混ざり合う。こうして、スタッフと子どもが隣合わせることも