アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#133
2024.06

境界をなくす 福祉×デザインの「魔法」

2 まほうのだがしや チロル堂ができるまで 奈良県生駒市
2)駄菓子とガチャガチャ
「どんな子でも」を考えぬく

「これまで子ども食堂のような場所に来られなかった子どもも来られる場所をつくりたい」という相談があったとき、吉田田さんの胸中には、前向きな気持ちと二の足を踏む気持ちが同時に湧き起こっていたという。

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吉田田タカシさん

吉田田 子ども食堂とか地域食堂って、誰でも来ていいですよってアナウンスされているのに、絶対に誰でも来ていい場所にはなっていないよね、っていうのがずっと大きな違和感としてあったんです。僕の周りではかなり早い段階から子ども食堂をやっている仲間がいて、それを手伝ったこともあるし、いいよねって最初は思っていたけど、結局「困った人が行く場所」になっている。いろいろと試行錯誤はしていても、打開策はまだないなって感じていたところでした。思い切ってそれを言ったら、みんなも「そうやね。わかる」って言ってくれた。

「どんな子どもでも来られる居場所」を。それぞれがその難しさをじゅうぶんに認識しながら、それでも実現できないかと話し合いを進めていった。そのなかで店内通貨という概念をはじめ、さまざまなアイデアが生まれていく。

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坂本大祐さん

坂本 以前、福岡に木札が通貨として使われているお店があって、帰るときに隣のひとに上げたり、一杯奢ったりできるし、木札をアクセサリーみたいに持っている子もいた。お金なんだけど、お金じゃない。店内通貨とか、通貨の概念が変わるっていうのは面白いと思った。100円で食べられるとか、安く食べられるっていうのと、通貨がexchangeしていくっていうのをうまく掛け合わせたら、もしかしたら面白いことになるかもって、後ろ髪を掴めたような気がした。

石田 奈良県にはチケット制でカレーを食べられる場所があって、大人は余裕があったらホワイトボードにチケットを貼って帰るんです。夕方からそのカレー屋さんは塾になるので、そのチケットで子どもはカレーを食べられる。寄付は必要だけど、みんな苦手だから軽やかに出来るしくみはないかなって思ったとき、こんなふうに飲食についているかたちでつくったらどうか?っていうのが私の提案だった。溝口さんは「駄菓子は天才。子どもは誰でも喜ぶ」って言って、駄菓子のアイデアを持ってきた。ガチャはダダ(吉田田)さんのアイデアだよね。

吉田田 大学生のとき、現代アートをやっていて、500円入れて回すとカプセルの中に領収書だけが入っているという、悲しいガチャのアイデアを眠らせてた。全てをサービスに置き換えて、全部お金で解決する社会ですよね、っていう皮肉をこめたかったんですよね。あと、20年ぐらい前にペイフォワードの記事を読んで、その当時は「日本には次の人のためにコーヒー代を置いていく奴なんて絶対にいない」って思っていたのをすごく覚えていて。
みんなで話し合っているうちに、ある夜浮かんできたのが、子どもの手のひらにチロルチョコが乗っていて、それが食べ物に変わるっていうイメージ。通貨の単位を決めないといけないから、何かいい単位はないかなって思っていたんですけど、とりあえず単位をチロルとして、そこからばーっと「ここは魔法の駄菓子屋チロル堂……1チロルでご飯が食べられます」ってアイデアを書いて、夜中の3時くらいに皆に送ったんです。

石田 みんなそのピロン、って音で起きたんだよね。天才!って。だってもう物語ができていた。

坂本 ディティールを詰めたらすぐできそうな感じだった。コロナもあったし、「クルマザIKOMA」も始めたものの動けなかったり、まちづくりをやりたい気持ちが行き場を失って、みんな出口を探していた。そんななか、これだ!っていうのが決まったから、さあ行くぞ!って。

先の見えない話し合いを積み重ねてきたからこそ、突破口が見つかってからは速かった。始動からオープンまでは、わずか3ヶ月。それくらい、チロル堂のコンセプトはゆるぎないものとなっていたのだろう。

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大人がチロって、子どもが使うという楽しい循環。店内通貨(チロル)、ガチャガチャ、駄菓子という3つが揃って、チロル堂は生まれた