1)「突破口」としての居場所を
チロル堂のプロジェクトが立ち上がった背景には、3人がそれぞれ生駒で活動するなかで抱えていた課題があった。
大阪でアートスクール「アトリエe.f.t」を25年、運営していた吉田田さんは、縁あって生駒に移住し、新たに作るアトリエで放課後等デイサービスを始めようとしていた。アートスクール自体も、生きづらさを抱えた子どもが多く集まり、実態とのズレに悩んでいた。坂本さんはデザイナーとして、奈良県東吉野村のオフィスキャンプ(#47、#48、#49、#50)を拠点としつつ、奈良県を始め各地でまちづくりに関わっていた。生駒市では「good cycle ikoma」など行政の仕事にかかわりながら、このまちをどうデザインしていくか試行錯誤していた。
石田さんは福祉事業所「非営利型一般社団法人 無限」を12年運営し、いまの子どもたちが抱えている問題の難しさを感じていた。
3人はそれぞれの困難をどうしたらよいのか模索するなかで出会う。そして、行政と連携し、生駒のまちの未来を考えるイベント「クルマザIKOMA」を開催した。車座になって、多くの人が意見を交わし合う場は、大いに盛り上がった。たくさんのアイデアも飛び出し、走り始めた矢先に、コロナ禍が始まって計画は中断せざるを得なかった。
そのタイミングで石田さんの福祉事務所に移転の話が持ち上がったことが、プロジェクトのきっかけになった。
石田 移転を機にコミュニティキッチンをつくりたかった。吉田田さんと坂本さんのデザイン力とか企画力をお借りして、コンセプトづくりを一緒にやってほしいと思っていました。時代とともに子どもたちが抱えている問題が複雑になって、ヤングケアラーとか引きこもりとか、大人の貧困問題ともすごくつながっていて、これは誰が解決するんだろう?という行き詰まり感を解決したかったんです。
それで、まずは生駒で地域食堂「たわわ食堂」の溝口雅代さんを訪ねました。その時で6年ぐらいやっていたんですが、そこで見たのは赤ちゃんからお年寄りまで来ていて、作る人と食べる人もごちゃまぜの空間。溝口さんは運営する側なのに、周りにいるみんなが彼女を助けている。その関係性の超え方に衝撃を受けて、ここに行き詰まりを突破するヒントがあるなと思った。
一方で、溝口さんが感じていた課題は「居場所をつくりたいんだけれど、居場所を設置できない」ってこと。いつも公民館などを渡り歩いて開かないといけない、かといって自分で物件を持つのは大変だし維持できないという現状があった。私は福祉事業をやっていたから、場所を設置することはお手伝いできるかもしれないと思って、準備を始めました。そのとき2人で話したのは、これまでアナウンスが届かなかった子どもたちにも来てほしいということ。今までと違うジャンルの発想や発信のやり方を混ぜないと届かないよね、っていうことでした。
まもなく石田さんが申請した大きな助成金の採択が決まり、吉田田さんと坂本さんを交えた4人のプロジェクトが動き出した。毎月1、2回の定例会で顔を合わせて話し合い、信頼関係を育てながらアイデアを醸成していった。