4)山にかかわる職業をつくる
春山さんはさらに、山に関わる人が増えにくい問題がある、という。
———「自然に関わりたい」「山に関わりたい」というときの職業先があまりにもないんです。アメリカやヨーロッパであれば、たとえばドイツでは「フォレスター(森林官)」は花形だし、林業は人気のある職業のひとつなんですけど、日本で林業に携わる仕事は少なくとも憧れの職業にはなっていない。「山で働きたい」となると、林業か、山小屋かアウトドアブランドで働くかみたいな感じで、ほとんど選択肢がない。その現状が、山から人が離れていく原因になっていると思います。
だから僕は西野さん、中川さんを非常に尊敬していて、自然とか山を舞台にちゃんとビジネスでやっているのは希望でもあると思っていて。こういう取り組みがもっと広がっていけば仕事が生まれて、自分の時間を大事にしながら自然と共に生きて、ある程度の収入はあるっていう働き方ができるようになる。そういう職業をつくるというのはすごく重要だと思います。
———山にまつわる職業として、日本にないものがたくさんあると思うんですけど、西野くんと中川くんは、それぞれの観点から、これから必要と思う職業はありますか?(瀬戸さん)
———僕がどうやって生計を立てているか、お話してなかったですね。僕は苗木を生産している会社の二代目になります。親父が30年ぐらい前に、僕の恩師である宮脇先生の下で助手をしていて、日本にいい森をつくるためにはいい苗木が必要だと起業した会社です。生産しているのは基本的にスギやヒノキではなくて広葉樹。これまで500種類、年間200種類ぐらいの苗木を数十万本育てています。
最近立ち上げたプロジェクト「里山ゼロベース」は、いろいろな会社に参加していただき、放置されて災害が増えているような森を子どもたちと一緒に変えていこうというものです。そういうところでなんとか経済と生態系の両方を循環できないか、いま挑戦しています。
また、現在、僕がつくろうとしている職業があります。「フォレストアーキテクト」、森の設計士ですね。実際森をつくるときには、植生調査をして、どういう樹種がその土地にふさわしいかという「森のレシピ」を描くのが森の設計士の仕事です。そういう新しい職業を日本で生み出して、日本発信で技術を展開していきたいと思っています。
できるのかっていうと、できるんです。かなり昔の話では、日本書紀にはスサノオノミコトが「乃拔鬚髯散之、卽成杉。又拔散胸毛、是成檜。」とあって、植樹のことについて書かれている。さらにいうと100年前には明治神宮の森をつくったという実績もあるので、まさに職業として成り立たせる目標であったりしますね。(西野さん)
———弊社には「樹木医」の資格を持っている従業員がいますが、いまの日本では樹木医の仕事がないんです。田辺市には熊野古道という有名な世界遺産の道があるんですけど、「熊野古道沿いもしくは本宮大社の木を診断したことがありますか?」って行政に聞くと「ないです。樹木医さんがいないからです」と言われる。樹木医さんはけっこう日本におられるのに。彼らが資格を取った後、どうやって食っていくのかが日本の課題としてあると思います。
身近にある木でさえも診断できないのが日本の現状で、僕が考えたのは、まず公園の木を診断する風景を子どもたちに見せる。それが学校の授業の一環になる。そうするだけでもかなりの本数の木がまちなかに生えているので、仕事として成立させることもできるんじゃないかと。
そうやって身近で木にふれる職業がどんどん増えてくると、そこから山に発展して、山に携わる仕事も増えるんじゃないかと思います。 (中川さん)
———轟さんは環境再生・環境改善を考えた庭造りにおいて、自分1人では受けられないぐらいの需要がある、と。その人材の育成と、それプラスアルファで、こういう職業の人がいると、ご自分の仕事をより円滑に大きくしていけるというのはありますか?(瀬戸さん)
———自分と同じ職業の人が増えてほしいのが一番です。それは林業にもつながるし。あとは苗木の生産者さんです。環境的な観点に合っているものと、観賞的な価値のあるものでは、扱っている場所が違うので。環境改善で使いたいのは、山で自生しているような、その地域の植生に合った苗木です。普通の市民が買いたいと思ったときに買える場所がないんですよね。だから、西野さんに出会えて本当に良かった。そういう仕事が増えるといいのかなって思います。(轟さん)
子どもや若い世代にとって、森や山にたずさわる魅力的な職種を増やしていくこと。すでに、その小さな種は蒔かれている。それが表面に出てくるには時間が必要だろうが、気にかけつつ、その促進にも、さまざまなかたちで与することが可能なのだと思う。