2)作品ありきで始まった協働 TATEGU-YA
Bed and Craftの始まりは、2016年。山川さんが自宅兼オフィスを改装してつくった「TATEGU-YA」が最初の一棟だ。もともとは、自宅を友人たちのためのゲストハウスに、と始めた山川さんだったが、その過程で、木彫刻家の田中孝明さんに出会う。孝明さんの作品に心を動かされた山川さんは、作品の設置を依頼。いわば孝明さんの作品ありきで、Bed and Craftはスタートしている。
そうした経緯があるため、孝明さんにとって、TATEGU-YAは、「僕としては、ここはやはり山川さんの家」という感覚が今もあるという。7年前の当時をこう振り返る。
———最初は、月餅の木型を壁に埋め込みたいから作ってほしいと依頼されたのですが、工房に来てみたら、こんな作品もつくっているのかと面白がってくれて。まだTATEGU-YAは改装している段階で、「建物のなかに作品を置いてみたらどうだろう? 隠れキャラみたいなものを置いてみたらどう?」と山川さんが言い、3体つくってみることになったんです。
山川さんと意気投合した、孝明さん。妻の早苗さんは、「山川さんは1週間のうち2、3日は必ず工房にいた。2人で座って楽しそうに話しこんでいた」と語る。2人の交流は家族ぐるみで深まっていった。Bed and Craft の構想や宿の目玉となった「弟子入り体験」についても、交流のなかから、アイデアが生まれたという。
———山川さんはこうやって作家に会えること自体が面白いと思ったみたいで、むかしスプーンをつくるワークショップをやっていたと話したんです。そうしたら、「面白い。じゃあ、来たひとに提供しよう」と。しばらくして、山川さんがまたやってきて、「名前を考えてきたよ! Bed and Craft。自分がベッドで、あなたがクラフト。どう?」と。それが始まりです。そんなふうに毎回提案を持ってきてくれるんです。
このようにして、Bed and Craftは、「地元作家との協働」「弟子入り体験」などというコンセプトが最初からあったわけではなく、孝明さんという作家を発見し、リスペクトし、協働をもちかけたところから始まっている。
孝明さんは、1978年に広島県で生まれた。工芸高校で木工を学ぶなかで木彫刻に関心を定め、卒業後に井波で弟子入り。木彫刻の職人の世界には、作家という生き方もあると気づいていく。「木のなかから何かを彫り出すのが制作であり仕事でしたが、木のなかから何かを彫り出すことで表現をしたいと作風が変わっていった」と孝明さんは言う。職人仕事のかたわら、優美な女性像を自らの表現として彫るようになっていった。Bed and Craftにかかわることで、孝明さんは、作家としての意識が変わったという。
———山川さんやBed and Craftを通じて、いろんな人と出会うことができました。そうすると、自分が見られる立場であり、表現者であり、作家なんだってことをより強く意識させられるようになった。自覚が芽生えた、というか。
それまでは、自分がつくった作品なんて誰が見るんだろう、どうすればいいんだろうと迷う気持ちも正直あった。工房だって、人なんか来るわけないと思い込んでいた。いつでも見てもらえる環境や、見られているかもしれないという意識が、自分にはプラスに働いています。
井波は職人の層が厚く、神社仏閣の大きな仕事などを融通し合うなど、産地として横の連携が強い。技術もオープンに共有し合ったりもする。そして、商売するにあたっては、問屋はおらず、顧客と直接取引をする。他の産地によくあるように、分業されていないのが特徴的だ。自分の作品をどのような舞台で発表するか、値付けはどうするか、販路はどうひらけばいいか。課題は尽きなかった。
———木彫の技術は学んだんですけど、商売を学ぶ機会はなくて、どうしようっていう。そっちのほうが大変だったかもしれない。つくれって言われたらいろいろつくれるんですけど、どこにどういうふうに売ったらいいんだろう、と。
Bed and Craftの取り組みは、山川さんとともにその試行錯誤をしてきた過程でもある。今では海外からの注文も入るようになってきているという。
この7年のあいだに、たくさんの刺激を受けるなかで、作風もまた変わってきていると孝明さんは語る。Bed and Craftもどんどん進化を続けている。TATEGU-YAの作品・空間づくりも、「次」を見据える段階に来ている。
———7年前は、(Bed And Craftの協働作家の)みんなとはつくり方が違っていたよね。TATEGU-YAは今が2巡目、2.0だから頑張らなきゃ。少しずつ付け加えたりとかもしたいし、もしかしたら柱になにか彫り込むかもしれない。そういうのも強度が落ちない程度なら自由なので。どんなものをつくっていくかは、今後の課題ですね。