5)まちの血行が良くなった 新しく生まれた変化
道後オンセナートは実行委員会形式をとっている。松山市と地域の3団体、旅館組合、商店街組合、まちづくり協議会で構成され、方針やプログラムを決定する。松山市にとって道後温泉は入浴料などが通年で見込める重要な収入源。道後温泉での芸術祭も当然集客が念頭にあり、目に見える目標として2014年度は年間5万人の宿泊客増という数字が関係者に共有された。
加えて、2つのミッションがスパイラルに託された。そのひとつが、いつ来ても楽しめるように1年を通して芸術祭を行うこと。もうひとつのミッションは、スパイラルが去ったあとも地元で制作運営ができるチームを育てることだった。
会期が長くなれば作品の保全や運営経費もかさみ、スタッフの確保も必要となる。その問題を解決する秘策として生まれたのが、宿泊可能なアートプロジェクト「Hotel Horizontal」だった。アーティストの謝礼と制作費を実行委員会が負担し、改装費用をホテル側が負担するやり方で実現した。
———宿が会場なら会期中の管理運営はホテル側にお任せできます。さらにこの改修費をホテル側に負担してもらいました。自腹を切ってもらう厳しい選択でしたが、それが功を奏した。つまり、作品が自分ごとになった。ホテルオーナー自ら作品について生き生きと話してくれるようになり、宿泊単価を上げたり観覧料を取って日中公開する工夫も自発的に起きました。改修費用を1千万円以上負担したホテルもありましたが、皆さん、おおむね元は取れたのではないでしょうか。
草間彌生、荒木経惟、谷川俊太郎、皆川明など9名のアーティストが手がけた部屋の華やかなイメージは、多くのメディアに取り上げられ話題となった。リスクを取る決断が大きなリターンを生んだ。
まちなかにインストールした作品も衝撃を与えた。道後温泉本館を包み込む中谷芙二子の霧の彫刻作品は、重要文化財というハードルがあって多方面との交渉や調整が難航し、かつ霧発生時のオペレーションが毎時必要で、運営側の労力を費やす作品だった。しかしその苦労あって、人工の霧に包まれた道後温泉本館の幻想的な光景は、歴史的建造物と先端アートのコラボレーションを象徴するオンセナートの代表的なランドスケープとなった。
もうひとつのミッション、地元の制作運営チームの育成に対しては、未経験だがポテンシャルのある松山市の若手クリエイターチームとの出会いがあり、彼らを中心としたコンソーシアムに制作と運営、ブランディングまでを任せ、必要なことは徹底的にスパイラルが教えた。ロゴマークや印刷物の一切を彼らが手がけ、本館振鷺閣のギヤマンレッドをシンボルカラーにした鮮やかなチラシやポスターが街を彩った。地域独特のしきたりやコミュニケーションに労する場面やトラブルも多かったが、若いチームが戦友となって現場を乗り切った。彼ら(NINO)については7月号で紹介する。
———道後はプライドが高くて本来は保守的なまち。でも、このままではまずいという危機感があって変化を受け入れやすいタイミングだったから、いろいろ無理がきいたのだと思います。あとは偶然そこに若者がいた。オンセナートは、地元の若者が出現する大きなきっかけになったと思います。
こうして2014年の道後温泉は、 年間5万人の宿泊客増という目標を上回る7万人増の88万7千人の宿泊客を獲得、その経済効果は約12億2300万円にのぼった。古い歴史をもつ温泉街に新たな客層をアートによって開拓し、ビジネス機会を創出したプロジェクトデザインが評価されて、道後オンセナート2014は、公共向けの活動・取り組み、社会貢献活動の分類で2014年度グッドデザイン賞を受賞した。
話題性や経済効果以外にも、数値化できない効果がまちにもたらされた。それまで特に行き来のなかったホテルのオーナー同士が、互いの展示を観にいくなど、それまでと少し違った交流が生まれた。「オンセナートがきっかけでまちの血行が良くなった」と、後日ホテルの支配人が松田さんに語ったという。
アート反対! から始まった道後温泉のアートだが、2014年の芸術祭を実現させた成功体験が、その後のアートプロジェクトを後押ししていく。それは単に経済的な成功だけではなく、「血行が良くなる」ようなまちに起こった変化が、歴史と伝統のまちに風を吹かせたことによるのだろう。道後温泉のアートプロジェクトは、その後も試行錯誤を重ねながらその本質を探り続けることになる。
次回は、道後のなかの人たちのお話を聞く。地元で道後温泉のアートプロジェクトにさまざまな立場で関わる人々の言葉から、道後のアートプロジェクトの変遷とアートが地域になにをもたらしたかを探る。
https://dogoonsenart.com/
取材・文 :坂口千秋(さかぐち・ちあき)
アートライター、編集者、アートコーディネーターとして、現代美術のさまざまな現場にプロジェクトベースで携わる。WebマガジンArt Scapeで「スタッフエントランスから入るミュージアム」を時々連載中。カルチャーレビューサイトRealTokyo編集スタッフ。ボランタリーアートマガジンVOID Chicken共同発行人。
写真:成田舞(なりた・まい)
1984年生まれ、京都市在住。写真家、1児の母。暮らしの中で起こるできごとをもとに、現代の民話が編まれたらどうなるのかをテーマに写真と文章を組み合わせた展示や朗読、スライドショーなどを発表。2009年 littlemoreBCCKS写真集公募展にて大賞・審査員賞受賞(川内倫子氏選)2011年写真集「ヨウルのラップ」(リトルモア)を出版。
編集:村松美賀子(むらまつ・みかこ)
編集と執筆。出版社勤務の後、ロンドン滞在を経て2000年から京都在住。書籍や雑誌の編集・執筆を中心に、それらに関連した展示やイベント、文章表現や編集のワークショップ主宰など。編著に『標本の本-京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)や限定部数のアートブック『book ladder』など、著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』『いつもふたりで』(ともに平凡社)など、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)など多数。2012年から2020年まで京都造形芸術大学専任教員。