4)道後温泉×アート 反対からのスタート
道後オンセナート2022
道後とアートの関係は、そもそもどのようにして始まったのか。その成り立ちは10年前に遡る。
道後で初めてアートが検討され始めた2012年頃、観光地の目玉である道後温泉本館が長期的な保存修理工事に入ることが決定していた。工事の着工が始まれば経済的な大打撃が予測されており、危機感がまちに漂っていた。加えて道後温泉自体の状況も良くなかった。個人旅行が主流の時代にまちの対応が遅れていたのだ。松田さんは当時を振り返る。
———僕らに声がかかった当初の道後は、まだ戦後の団体旅行客対応の温泉地の性格が色濃く残っていました。旅のスタイルが変わって社員旅行も大幅に減り、ピーク時に130万人くらいあった年間宿泊者は、2011年には80万人を割り込んでいた。生き残りをかけて温泉地のブランディングを変えていく必要がありました。加えて、本館の保存修理工事がいよいよせまっていたという地元の事情がありました。でも、そこでなぜアートというテーマが出たのかはよくわからないです。
お隣の香川県では、2010年にスタートした瀬戸内国際芸術祭が大成功を収めていた。その影響もあっただろうか、新たな地域活性化の切り口にアートが注目され、同じ愛媛県の今治市でプロジェクトを行なっていたスパイラルに声がかかった。
だが、初めて呼ばれた会議で松田さんは、アート反対! というまちの声にいきなりあってしまう。
———アートをやりたいといって呼ばれたのに、最初の会議がアート反対、で始まりました。道後のアイデンティティは歴史ある温泉街、ずっと歴史でやってきたのに、どうして現代アートなんだって強い声があがった。確かにそうだなとは思いました。でも歴史がずっと続いているということは、いつ来ても一緒、千年たっても同じ、果たしてそれでいいのか。今の道後を見てもらう必要があるんじゃないかと話して、 “最古にして最先端” それを現代アートを通してやりませんか? と言ったところ、皆さん納得したようで、それから反対の声は聞かれなくなりました。
伊佐庭如矢初代町長が「100年後までも他所が真似できないものを」と築いた道後温泉本館は、120年前の最先端だった。そうした道後のプライドに松田さんの言葉はうまく刺さった。この「最古にして最先端」は、道後オンセナート2014のテーマにもなった。