松山城下から路面電車に10分ほど乗ると、終点の道後温泉駅に着く。日本最古の湯といわれ、国内外から多くの観光客が訪れる道後温泉は、2、3周まわれば、大体どこに何があるか掴めてしまうほどのコンパクトな温泉街だ。中心街からのびる坂道沿いにホテルや旅館が立ち並び、坂の上には寺や神社がある。高台からまちを見おろすと、遠くに松山城、そのむこうには瀬戸内海の島々が小さく見える。古くは『万葉集』に詠まれ、夏目漱石の『坊っちゃん』の舞台でもある。松山出身の俳人正岡子規とも縁が深く、いたるところに歌碑や句碑が建つ、言葉と文学の里でもある。
明治27年、道後湯之町初代町長の伊佐庭如矢(いさにわ・ゆきや)が道後温泉本館を木造三層楼の湯屋に大改築し、さらに鉄道を敷設して温泉観光地の礎を築いた。以降、道後温泉は四国愛媛を代表する観光地として、100年以上にわたり賑わい栄えた。だがその隆盛も21世紀に入ると少しずつ衰勢を見せ、旅行スタイルの変化に伴い観光客が減少、施設の老朽化も目立つようになった。そして道後温泉本館の保存修理工事という大事業を前にして、地域の活性化対策として注目されたのが、アートだった。
2014年、道後温泉で初めて「道後オンセナート2014」というアートフェスティバルが開催された。宿泊施設の客室を現代アーティストが作品化した「泊まれるアート」が話題となり、多くの人が道後を訪れて経済的な成果も数字で残した。その後も道後温泉のアートプロジェクトはかたちを変えながら継続して行われ、現在、道後温泉の後期保存修理工事に合わせて、3ヵ年計画が進行中だ。そして道後温泉とアートの関係も、10年という時を経るにつれて少しずつ変化してきている。
日本有数の観光地、道後温泉はアートによってどのように変わったのか。まちにアートは本当に根づいたのか。道後温泉とアートの関係を、行政、まちのひと、プロジェクト運営者ほか、さまざまな人々の視点から振り返りながら、ひとつの地域をアートがどのように活性化するのか、またはしないのか、その可能性について考える。第一回は、道後オンセナート2014を成功に導き、「みんなの道後温泉 活性化プロジェクト」を推進中のスパイラル/株式会社ワコールアートセンターの松田朋春さんのお話を中心に、現在進行する3ヵ年事業の現在と、道後温泉でアートが始まった当時を振り返る。