3)みんなで歩く、散歩の気づき
教室外のにわにわの活動とは、具体的にはどのようなものなのだろうか。小山田さんが重きを置くのは、日々の生活や身の回りの自然のなかでのちょっとした気づきや発見だ。そこから好奇心を芽生えさせ、学びへとつなげていくにはどうすればいいか。小山田さんが活動の軸にしようと考えているのは、「散歩」だという。
———散歩は、ほんとに学びが多いんです。歩いていると、いろんなものが常に向こうからやってくるし、自分が動いたぶんだけ世界が動く。それをみんなで共有して、いろんな発見をしていくのがすごく楽しいし、学びになる。僕が一番大切にしているのが、歩くなかでの気づき合戦です。たとえば「風景しりとり」っていって、歩きながら見えるものだけでしりとりをするんです。するとときどき、「アスファルト」とか、なかなか気づきにくい言葉でつないでくる子がいたりして、みなで、「ああ、そうか!」となる。あとは、歩きながらみんなで「寿限無」を覚えたり、何かを採集したり。そういうことをやっていると、歩いているのが楽しくなるし、だんだんと、身近な景色や周囲の自然から、いろんな気づきを得られるようになっていきます。そういう感覚を得て、美術館なんかに展覧会を見に行くと面白いです。「あとで『マイフェイバリット』を聞くで」って言ってメモを持たせて、見終わってからロビーに集まってそれぞれに発表してもらうと、なかなかユニークな視点で見るようになっていたりするんです。
学びは本来、学校での教科を越えて、さまざまな事柄が複雑に絡み合うなかにある。日々の生活や身の回りの自然とも密接につながっている。しかし今は、それらを分断された形でしか学べなくなっていると小山田さんは言う。算数は算数、理科は理科、社会は社会、という具合だ。でも実際は、算数も理科も社会も、互いに複雑に絡まり合い、生活や自然は、その絡み合った状態のなかにある。だから、外に出て、周囲のさまざまなものに目や耳を向けながらみなで歩くことは、そうした本来のつながりを感じるのに最適な方法の1つなのだろう。ふと目にしたものから気づきや問いを得て、想像を膨らませ、考える。その積み重ねが子どもにとって好奇心の芽となっていくことは想像に難くない。
そして、そのような学びの機会をまずは身近な人たちの間でつくり、育てていきたいという気持ちが小山田さんにはある。
———いままで僕がやってきた場づくりも、目の前にいる人たちと小さく始めて、少しずつ人を通じて広げていくという形でした。いまは、くもんを通じて週に2回は必ず会える子どもたちが複数いる。彼らに声をかけることから始まって、その兄弟や友達へ広がって、そこにバラエティに富んだ大人たちもなぜか紛れているっていう状態をつくりたいという気持ちがあります。そういう方がきっと、にわにわのような学び合いの場には合っていると思うんです。何か目的を掲げて広報活動して、それによって広く人を集めて、助成金を取って活動する、という形ではない場です。
くもん教室を入り口として、身近な人同士が、ともに学び合うことができる。互いのつながりは偶然性を含むものであり、また、散歩という活動も何か明確な目的を持つものでもない。すなわち、人の関係性にも、活動そのものにも「弱目的性」があるなかで、地域や生活圏をともにする近しい人たちが、つながり合って「プラスアルファ」の活動を行っていくというのが、にわにわの形なのだろう。