アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#99
2021.08

未来をまなざすデザイン

4 学びを響き合わせて、新しいうねりへ
7)どのジャンルにも応用できるアプローチ
「佐賀大学ひと・もの作り唐津プロジェクト」の意義
批評家、アーティスト 多木陽介さん3

城谷さんが手がけた数々のプロジェクトのなかでも、多木さんは「佐賀大学ひと・もの作り唐津プロジェクト」における仕事は最高傑作だったと考えている。
そのもとにあるのは、2001年から02年にかけて、マーリが波佐見とミラノで染付職人と行なった「KAZAN(カザン)プロジェクト」である。マーリは職人ひとりひとりに図案のマエストロになってほしいと考えて、ものの本質とクオリティを突きつめていくための方法を示した。たとえば、モチーフとしてウサギを描くにも、ギリシャ、中国など他国の古典における描き方を参照したり、実際にウサギを写生させたりすることで、絵付け師たちが自問することなく踏襲していた様式的な描き方が本当に最良なのか、考え直すきっかけを与えた。次いで、書の先生に多様な筆遣いの技術を見せてもらうことで、筆という自分たちの仕事を支える道具の技術を本当に100%活用しているかどうかに気づかせようとしたのだった。
城谷さんはそのプロジェクトを全面的にサポートしていた。

———伝統工芸の職人さんは腕がよくて、手の技術がすごい。だけど、耕生くんの言葉だと思いますが「脳の技術」をあんまり使ってない感じ。それは何かというと、自分たちができることに対する客観的な認識がじゅうぶんにないということだと思うんです。手の技術はものすごくあるのに、なぜその技術があるのか、それはどこから生まれてきたかというようなことを考えてきていない。
器をつくって絵付けをするにしても、それを技術として習ってしまうと、誰も理由を知らないままでやっていく。例えばなぜ釉薬をかけるのか、なんで釉薬を使わないかっていうのは、実は食べ物との有機的な関係がある。大昔の焼き物をつくっていたのは、おそらくお百姓さんだったんだけど、育てた野菜を料理して盛るための器を自分でもつくっていた人は、そういうことをわかっていて、焼きものの基礎をつくっていったんですよね。
マーリさんは、自分たちの技術の基本にあるものをより幅広く、より深く学び直させることをやった。僕は耕生くんから詳しく聞いたんですが、そばで見ていたかったなと思います。

現代社会は職人が技術について広く学び、時間をかけて熟成させていくようにはできていない。マーリが試みたように、デザインの教育を受けた人間が職人たちにデザインの方法や、知性と教養を教える側にまわることは、職人に変化をもたらし、ひいてはものづくりの強度も上がっていく。
佐賀大学ひと・もの作り唐津プロジェクトでは、城谷さんは器のデザインにかかるまでに多くの時間を費やした。

———若い陶芸家のグループに対する授業を行なったんですね。そこには地元の陶芸家だけじゃなくて、唐津焼に魅力を感じて、別の地域で大学を出た人なども来ていた。だから、唐津という土地や文化と、外から来た人たちをつなげるようなワークショップを耕生くんは考えたんです。僕も何度か授業をしに行って、展覧会のつくりかたやカスティリオーニさんの話をしました。
器で本来大事なのは、食べものを食卓で映えるように見せること。脇役なんですよね。そのためには、器に盛る食べもののことを考えないと成り立たないわけです。この料理は盛りつけよく見えたほうがいいから、あんまり深くないほうがいいとか、味が濃くてたくさん食べるものではないから、小さくていいとかね。理由があって器のタイポロジーは決まってきたらしい、と、プロジェクトを進めながら、みんなで確認したようです。
具体的には、最初に消滅してしまうかもしれない地元の野菜を3つ選んで、参加者をチーム分けして、お百姓さんに野菜をもらいにいきました。野菜を育てるための気候条件や生育時期などを聞いてきて、次はその野菜を伝統食の先生とフレンチのシェフのところに持っていった。それを使って現代の我々に合うようなレシピを考えてください、と。そのふたりがすごいプロジェッティスタだったんですよね。きちんと考えて、理由のある選択をしてくれた。ふたりで20ぐらいレシピが出たなかから3つを選んで、それからようやく、この料理を載せる器をつくりましょう、となった。本当に最終段階になって、やっと陶芸の制作に入ったのです。いつもなら彼らはそこからしかしてないんですけども、その前の部分がたくさんあった。それがすごくよかったんですね。
環境から、食べものからつながって焼きものまでいくプロジェクトで、見事な仕事でした。焼きものをやる人は全員あの経験をしたほうがいいですよ。そういう授業だったと思います。

2020年12月、城谷さんが病院にいた頃、多木さんはこのプロジェクトのことをチリのシンポジウムで発表した。世界の民衆建築というテーマにおいて、伝統工芸に対するアプローチとして話をしたら、聴衆の反応はとてもよかったという。

———陶芸という技術は本来、農、食、陶という3つの技術と知の体系が融合して生み出されてきたものです。なのに、陶芸家が陶芸しかやらないと、往々にして、一番根っこにあるものを知らないままになる。
耕生くんの仕事は、洗練された技術をやっている人たちに、基本のところを学び直してもらうことです。そうすると創造力が強くなる。洗練されたものだけを受け継いでいると、社会の状況が変わった時に対応する力がなくなるんです。けれど、今の時代の食べものは、農業はどうなっているんだと考えることができれば、だいぶ対応力が違ってくる。建築でいうと、ただ民家のつくりかたを習ってやればいいのではなくて、なぜこういうものが生まれてきて、環境によくて生活にもいいかを理解してつくるのとは違うじゃないですか。
シンポジウムの参加者は建築側の人たちが多かったですが、耕生のアプローチは、伝統工芸にも伝統芸能にも、またもちろん伝統建築にも何にでも適用できるものです。誰もが真似したらいいくらいのモデルになっていたから、シンポジウムの聴衆たちも強烈に反応したのだと思います。

マーリを引き継いだ城谷さんの思考と行動。それをより深め、広がりをもたせていく多木さんの思索と言葉。すべてが一体となることで、ひとつのプロジェクトは厚みをまし、意義深いものとなった。それにかかわることはもちろん、知ることからも変化は始まる。プロジェクトの語源であるラテン語の「pro(前に)」「ject(投げる)」とは、本来このようなことを指すのだろう。

Festival Sarañani! 2020

シンポジウムのポスター。開催はオンライン。聴衆はチリだけでなく、南米の各国やイタリア、スペイン、アメリカ、オーストラリアなどからも参加していた