モミの木の音が聞こえたの。でもどこにも見えなかったの。それにもう聞こえなくなってしまったわ
(ヨハンナ・シュピーリ『アルプスの少女ハイジ』毛利孝夫訳、望林堂、2014年、原著は1880年)
アルプスの少女ハイジは、都会に出てから故郷の喪失感にとらわれる。そしてそのあまり、病んでしまう。彼女がアルプスを思い出すときに、しばしばきっかけとなるのが風の音である。小さい頃、山小屋に連れてこられた彼女はすっかりそこでの暮らしに魅了されるのだが、中でも「一番魅力的だったのは、風の強い日に大きな音を立てながら揺れているモミの木」だった。小説にはその後、何度もモミの木を揺らす風の音が出てくる。その音は、彼女にとって記憶のよすがである。
先日、大学院生から面白い話を聞いた。博物館施設に務めている彼は、大学院の研究では、全国の実践例を網羅的に調査しつつ、日常的な道具類を博物館でどう保存展示するか、またそれをどう用いるのかということを考えている。その彼から、昭和に使われていたものは蒐集され、展示の対象となっているが、平成となると蒐集の対象にすらなりにくい、という話を聞いた。その理由を尋ねると、昭和の時代はさまざまな時代の変化と身の回りの日用品の変化とが対応しているので、それを展示で見せやすい、平成になると、時代やモノはたしかに移り変わってはいるものの、エポックメイキングな変化が見せにくいからではないか、という答えだった。そしてまた、平成の時代に記憶に刻まれたのは、時代の変化ではなく、何より繰り返された災害だろう、とも。たしかにそういわれると腑に落ちる。世界中で目を覆いたくなる悲惨な災厄がはびこっているのは事実だが、日本平成の30年は天災(人災もあろうが)ほど記憶に残った事件はないのかもしれない。地震や台風といった自然災害は時代の推移とは別次元の事件であるし、政治や経済や生活環境の変化と関連付けられるモノがあるかといえば、通信端末ぐらいだろうか。
そもそも、モノによって時代を思い出すということが希薄になってきたのかもしれない。200年近く前、作家のヴィクトル・ユーゴーは、次のようなことを記している。建築が記憶を担っていた時代はもはや終わった。これからは印刷された文字が記憶を担うようになった、と。建築術から出版術へと記憶の書物の編み方が変わったのである。とはいえ、『パリのノートル・ダム』(1831)で彼がそう書いたのちも、言葉だけでなく、モノは依然として記憶を支える重要な役割は担ってきたように思われる。実際のところ、たしかに日々の生活の記憶の端々にモノと触れあった経験が刻まれている。二十世紀も終わりの頃まで、日々の暮らしはきわめて身体的な感覚に満ちていた。いま思うと、私は幼時にとんでもない田舎で過ごしていて、家の風呂といえば庭に据えられた鉄釜で、下から火を焚いて沸かした湯に木蓋を踏み台にして入った記憶がある。またその五右衛門風呂に連れて思い出すのは、街中の銭湯の湯船である。よく行った2軒のお風呂屋さんのうち、ぬる目のお湯の浴槽のあるほうに連れて行ってもらえると嬉しかったことを思い出す。砂糖水をかき混ぜたスプーンの感覚、ぎこちなく鉛筆を削った指の痛み、使い古された家具の光沢と手触り、用水路や路地の暗がりの恐ろしさなど、危険や不自由さも伴いながら、身体的に接するモノに囲まれていた。良い思い出も嫌な記憶も、モノと一緒に過ごした感覚がある。
ところで、それに対して、今はネット社会になって、マンションの個室の中からなんでも指先一つで事足りるようになった、あるいはヴァーチャルな映像に慣れきって全身的な経験を忘れてしまった、と言ってしまうのはちょっと単純すぎる話だろう。スマホを見るにしても、目も肩も疲れるし、モニタを通じても、メイルの文章からも感性的な経験は生じている。どんなに画像やSNSに取り囲まれていても、人はそれらを体験しつつ老いてゆく。人間はいつの時代でも否応なしに自分の身体を引きずって生きていく。目と頭だけ巨大化して触手のような細い指先で無表情にキーボードを操作する未来人(あるいは異星人)の姿は、昔の未来小説の想像でしかない。現実に今日ネットを利用して生きている人間は、そんな姿で澄ましているというよりも、むしろたっぷりした肉体で脂ぎった指先をせわしく動かし、他人とのコミュニケーションに身をもって一喜一憂しているのが普通だろう。モノや身体性が後退したというよりも、「モノ」がかつての「モノ」のかたちをとらず、別モノになったのではないか。
ひょっとしたら、立体物、固形物という意味での「モノ」も、昔から記憶とむすびついていたというより、それが記憶の媒体として強く意識されるようになったのは案外最近のことではないだろうか。それは博覧会や博物館、美術館といったモノを視覚資料として保存する制度が十八世紀末以降鞏固になっていったこと、また同時に、先に挙げたユーゴーその人も関係者だが、文化財保護の意識が高まってきたこととも関係するように思われる。コレクションを個人のレヴェルでも行える層が広がったことも一因かもしれない。そして薄っぺらな視覚データに見える写真画像も、実はガラス板、紙焼き、デジタル画像問わず、同じようなフェティッシュな感覚と結びついているのではあるまいか。携帯端末の高性能化や5Gの技術など、すべてモノと触れ合う身体的経験の再現を追求している。もし人間が概念的な情報のみ必要としているのであれば、遥かにデータの処理量は少なくてすむ(かつてのフロッピーディスク1枚で結構事足りる)。記憶されるべきは文字列で表される内容ではなく、触覚や匂いといったものまで含む全身的な記憶であろう。いまはなまじっか視覚的情報の処理だけが先んじて進化しているので、なんとなくコンピュータの作るヴァーチャルな体験が過去の人間の経験と別モノになっているように見えているが、モノとモノに触れた経験とが消えることはない。それは携帯端末を飛び交う顔文字、改行の仕方、静止画や動画の量からも、またゲーム機器の進化の方向からも容易に察せられる。フェティッシュな経験はますます栄えるだろう。
記憶そのものを何と捉えるかにもよるのだが、記憶が無意識的にモノと結びついているという考え方は、一見そうは見えないかもしれないが、実はきわめて近代的で、個人の身体感覚の重要性を強く意識する時代になってからのことだろう。記憶されるべきものが、明瞭に了解された概念や定義された言葉の体系であれば、個人の身体的記憶は介入の余地がない。しかし、曖昧な、混沌とした、いわくいいがたいもの(ライプニッツならje-ne-sais-quoiという)を大事にするというのは、近代がまっしぐらに推し進めてきたように見える合理化の裏側で、実は同時にまた近代がパソコンや携帯の時代に至るまでひたぶるに追い求めてきたことでもある。
アルプスの少女ハイジはスイスの清浄な空気の中で育った自然児というわけではない。むしろ自然から引き離されて、自分の身体を否応なしに進歩、節制、勤勉な空間に移し置かれた近代人である。都会で教育を受け、きびしくしつけられた彼女は、他方で強い故郷の喪失感を覚える。そのノスタルジーの引き金になるのが、街路を走る馬車の音である。彼女はそれをアルプスの山のモミの梢を揺らす風の音と聞き違えたのである。かつてスイスの風土病と思われていたノスタルジーは、古くから音、また特定の旋律と結び付けられていた。ジャン=ジャック・ルソーは、それに触れつつ、音が過去の思い出の記号となっている、と考えたが、十九世紀はじめの小説家のセナンクールは、ノスタルジーを引き起こす音は、記号というよりも感情そのものだ、と言う。音そのものに、それだけ魂を揺り動かす力があると考えたのである。実際、ノスタルジーは風景やモノやエピソードについて語られることも多い一方で、博物館には収蔵しにくいモノだが、歌謡曲や映画音楽、ドラマの主題歌など、過去を呼び覚ますものとして音楽は相当な力がある。そういえば、今から40年ほど前に流行ったカーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」という歌の詞は、こう始まる。「若い頃、私はいつも自分のお気に入りの歌がかかるのを待ちながらラジオを聞いていた…。」いまや「イエスタデイ・ワンス・モア」の曲自体、それを聞くとノスタルジーを感じてしまうが、音の経験はたしかに個人的な経験、それもきわめて親密な感情と結びついている。音は不意にやってくる。意図せざるモノを受け入れること、それは情報化社会が切り捨てたわけはない。むしろ今後とも追求されていくだろう。
図版:アルプスのコンピューターショップ