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アネモメトリ -風の手帖-

空を描く 週変わりコラム、リレーコラム

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#333

ひとつひとつ
― 早川克美

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 もっと高くもっと先へ。

自分を高めたいと思っている人は少なからず、こんな意識を持たれているのではないだろうか。そして、そのための情報収集や自己研鑽を惜しまない。学び続けようとする姿勢は尊いことだ。そして、そんな人たちのニーズに応えようと、多くのセミナーや学習イベントが毎日のように各地、またはオンラインで開催されている。

○プレゼンテーションが上手くなる10の方法
明日から使いこなせるパワーポイント
デザイン思考2日間集中講座

 いずれも、短いものは1時間、長いものでも2日間や隔週35回という短期間で、翌日からの仕事に役立つ即効性のある企画が多い。

 忙しい現代人にとって、技術的・テクニックを教えてもらうのにはこうした短期企画はありがたい。また、情報を受信するという観点からも、とても効率が良い。要は、一冊の書物でいうところの「目次」の機能を果たしていると思う。

 しかし、ここで「学んだ気になって満足している」または「すぐに活かせると思っている」ことは、とても危険な感覚ではないかと、私は危惧している。多くのこうした企画では、大抵、「今日到達目標はここです!」と予め明示され、受講者は自分が何を得られるのかを知らされて学ぶこととなる。本来、学びとは、自らの問いを探していく行為のはずなのに、答えが用意されたサービス過剰な環境が学びだと錯覚している人は多いのではないだろうか。

 感性や思考は、もっと時間の積み重ねの必要な身体的な営みだ。1日やそこらで自分を変えろと言われても変えることができないように、自分を司る感性や思考はちょっとやそっとでは変わらない。学びとは、情報を入手し、先達の成功体験を見様見真似で経験し、自分自身を見直し、幾度も経験し、小さな成功体験を経て、やっと自分のものになるものだ。夢中になったり、苦悩したりの段階を積み重ねていくこと、すなわち「体験~経験」という身体に刻み込むような営みの先に、学びからの成長がある。

 大学院の授業では、そうした感性や思考に働きかけるプログラムを計画し、実施している。授業ごとの獲得目標はもちろん明示しているが、答えは示していない。「自分自身の感情・思考・価値観を可視化することで、自分の中にビジョンを意識的に持てるようになることを目指す」というように、本人の身体への実感を要求している。個人個人で違う結果となるため、到達点には個人差があって然るべきだし、正解はない。そうすると、学生の中には、何がわかったらよかったのだろう?という不安を持つことがあるようだ。正解がないわけだから、自分で探すしかない。ここが学びの醍醐味なのだと伝えるようにしているが、こうした時に、先に述べた、近道を教えてしまうセミナーの弊害があるのではないかと感じたりする。

 感性を鍛える、思考を深める・研ぎ澄ますこと、自分なりの何かを持つ、ということは、実に根気の必要な作業の積み重ねなのだ。毎日の目の前のことを、(これが何のためになるのか?)などと余計なことを考えずに、ひとつひとつ丁寧に相対していく、そこには近道はなく、ある種無様な営みなのだ。ある時、答えが見えることがあったり、また迷いの中に紛れ込んでしまったりを繰り返して、振り返ると、成長している自分を意識できる。その時の感覚はとても爽快で喜びがある。きっとそれが学びの成功体験だろう。

 自分を高めたい、成長させたい人に伝えたい。

明日すぐに使える知識で満足しないでほしい。すぐに答えを出そうと性急にならないでほしい。回り道、迷い道と思えることも丁寧に取り組んでみてほしい。ひとつひとつを取り組んでいった先に見える世界を一緒に眺めようじゃないか。