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アネモメトリ -風の手帖-

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#327

町へ出ず、書を読もう
― 野村朋弘

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このコラムが公開される頃、本来であれば大学で入学式が催され、希望に満ちあふれた新入生に向かって挨拶をする予定であった。

しかしながら、新型コロナウイルスの世界的流行のため本学をはじめ、多くの大学で入学式が中止や延期を余儀なくされている。

一人でも重篤な罹患者を生まないためにはやむを得ない仕儀といえる。残念なのは新入生だけではなく、教職員も同じである。早く終熄することを祈念したい。

新型コロナウイルスの影響で、多くの大学では前期の開講時期をずらしたり、オンライン授業を行うなど対応に追われている。

翻って通信教育部の学修は基本が自宅学習である。自宅のどこでも良い、本を開けばそこが学びの場となる。

本を読むこと・読み込むことは学修の第一歩だ。さまざまな本を読むことによって知識が増え、読解力は養われ、語彙に出会う。

本とは他者がアウトプットしたものであり、それを読み込むことによって他者の考えに出会える。知識は発想の引き出しとなるのだ。当世はその場しのぎの「ググる」ことが持て囃されているが、そもそも知識がなければ検索するワードも想起できないし、体系的に学んでいない断片的な知識は、問題解決に役立たない。

だからこそ、本を読むことは学修の第一歩となる。

あぁ堅苦しい。そんなことを言わずとも本を読むことには、新しい出会いがある。

同じ本であったとしても歳月を得てから読んだとき、人生経験によって、新たな気づきがある。

以前、このコラムのシリーズで2013年11月3日に「書を求めて、街へでよう」という小文を書いたことがある。神田古本市を取り上げたものだ。文末に「先人が纏めた書を読むことは、先人たちと対話することにほかなりません」と述べている。

古本屋に出かけずとも、自宅にある本を読む、もしくはインターネットでこんな時期だからこそ公開されている本もある。

例えば平凡社の東洋文庫『流行性感冒』は4月30日まで全文を読むことが出来る(https://www.heibonsha.co.jp/smp/book/b161831.html )。

ちなみに画像の史料纂集『花園天皇宸記』は、私が学部生の頃から読んでいる史料である。かれこれ20年以上、ことあるごとに読み直しているが、何かしらの発見・気づきがある。

多くの本を読み、良書と出会うことも読書の醍醐味の一つだろう。

こんな時期だからこそ、自宅での読書を勧めたい。

本を開ければ、世界が広がる。