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アネモメトリ -風の手帖-

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#102

「和」風について
― 上村博

sora_49

(2015.03.01公開)

和風の「和」とはやさしい文字である。平和の和であり、調和の和だ。とげとげしくなく、落ち着いた、和やかな雰囲気を持っている。そしてこの「和」という文字はまた「日本」をも指す。しかも日本の別名でありながら、「日本」と書いたり、「ニッポン」「ニホン」と言ったときよりも、「和」と記したり、「ワ」と発音したときのほうがやっぱりやさしい、いかつくない印象がある。「日本風」「日本的」「日式」というよりも「和風」というと、どことなくくつろいで、安心感さえある。
これはもちろん、ひとつには「和」という漢字のなせるわざだろう。この漢字一文字のおかげで、上に書いたような、心穏やかに仲むつまじい様子がにじみ出るのだ。しかし、もうひとつ別の理由もあるように思う。「和風」と「日本風」との、いやそもそも「和」と「日本」との語感の違いには、日本というアイデンティティが成立するにあたっての微妙な経緯が影響しているのではないだろうか。

「和」という文字が用いられる前には、中国大陸から見た東の島々の住民を指して、「倭」という文字が使われていた。「倭」は「チビ」とか「ちんちくりん」といったような蔑称だろう。文字を持っている国は有利で、無礼な命名権を当然のように行使する。もちろん、「倭」が蔑称でないという考え方も、日本では古くからある。実際、ケモノ偏でもムシ偏でもなく、人偏だし、そもそも倭人についての記事を史書に載せた「魏」という国だって「委」にヒトどころか「鬼」がくっついている。とはいえ、四方の辺境は基本的に未開の蛮族が住んでいることになっているはずの中華の国の「東夷伝」中で、日本の人々だけ厚遇されたと考えるのは難しいのではないだろうか。
心ある倭人たちは、あるときから蔑称を苦々しく思ってきたのだろう。だからこそ、「倭」という文字ではなく「和」という美しい文字を採用し、さらに「大」も加えて「大和」という呼称を発明(8世紀)したのだ。それ以前から「大倭」もあったが、「大和」のほうがたしかに立派だ。もちろん「倭」はその後も使われ続けるし、また鎌倉時代以降たびたび「倭」には実は悪い意味はないのだと主張されてきた。とはいえ、やはり見た目も嬉しい「和」の方が定着したようだ。
他方で、中国に対しては「大和」という表記の少し前から「日本」が使われはじめた(「やまと」についてはここでは省く)。いうまでもなく「日本」も中国から見て日の出づる方角にある国という意味で、中国との位置関係から定まった名称である。そして「日本」も大和言葉ではなく、もちろん漢字で、ひょっとしたら中国の誰かの命名かもしれない。しかし隋の皇帝を怒らせた聖徳太子のエピソードにあるとおり、「日本」という名称にははっきりと対等の関係が意識されている。たとえ「大和」と名乗って「大唐」に張り合おうとしても、押しつけられた「倭」の命名の記憶はぬぐえない。しかし「日本」であれば、よほど独立国らしく見えるではないか。

こうして、「倭」あるいは「和」は伝統的に自分たちの国を指す言葉として使われ続ける一方で、「日本」という名前が主に外交的な国号として採用されたのである。言い換えると、「日本」は表向きの正式名称で、「和」は内側に向いた自意識だ。「日本」が外に向けられ、作られた政治的アイデンティティであるのに対して、「和」は自分たちの心情的なアイデンティティとして残る。このことは熟語の性格からも見て取れるだろう。「和」(「倭」で記されることもある)が付くのは、「和琴」「和歌」「和服」「和食」「大和絵(やまとえ、倭絵)」など、日本固有の(とされる)文化に関わる言葉である。外国から「倭国」「倭人」「倭寇」などと「倭」が国家的・民族的な(何が国家で民族かはもちろん考えないといけないのだが)カテゴリーで呼ばれても、日本のなかでは「倭」や「和」はもっぱら自分たちの特定の文化的伝統を指す言葉に用いられている。
ここですぐに付け加えるなら、「日本」も文化的概念に用いられることがある。しかしたとえば「日本文学」や「日本画」は、主に明治以降に西洋との対比から生まれた概念であり、日本画の場合はとりわけ西洋画と対比するため、かつては漢画と呼ばれた水墨画も一緒に取り込んでいるし、さらに日本文学の場合は漢語だけでなくカタカナ語までも散りばめられている。和も漢も洋も吸収した上で、「日本」という政治的な括りを冠したジャンル概念である。したがって「日本の文化」は「和の文化」をおおむね包摂していて、そこに昔からの中国的な要素や近代以降の新しい文化も加えたものである。漢文と欧文の翻訳語が充実した日本語と、ひらかなたっぷりで抽象的な思考が苦手な大和言葉の違いでもある。
要するに「和」や「和風」はドメスティックな文化的伝統を指す言葉なのだ。オフィシャルでポリティカルな「日本」文化に対して、心に馴染んだ「和」の文化。そこから「和風」の持つ、心安らぐニュアンスが由来しているのではないだろうか。

もちろん「和」は特定の文化的伝統を指しているが、それは根っから日本列島にあった文化ということを意味しない。和服や倭絵はずいぶん大昔のことであっても大陸から到来したものがもとになっている。そもそも「和」の伝統になるために悠久の歴史は要らないのだ。ふるさとの里山、棚田だって、別に古代日本の原風景というわけではなく、ここ200ー300年の自然開発の結果を近代の都会人が懐かしがって賞翫しているものだし、凄腕の職人技もエコでヘルシーな食生活にしても、プレ近代から近代以降にかけての工業化や西洋化と相俟って注目された「和」の文化だ。近代化し、国際化する「日本」にあって、そこから少しの距離をおいて存在するのが「和」風である。一種のセルフ・オリエンタリズムとして、かつては中国に対する「東」の果て、最近では欧米に対する「東」の果ての島々の、異国の風におかされない、懐かしくも奥ゆかしい美的な理念として、あるいは純粋な自然という心の拠りどころとして、「和」風は機能する。
そんなふうに書くとちょっと皮肉っぽく見えてしまうが、ここで注意深く考えないといけないのは、セルフ・オリエンタリズムが必ずしも悪いものではないということである。他者の視線に沿って作り上げられたものを幻影と否定して、どこかに本質を探そうとしても、たいしたものは見当たらない。そもそもアイデンティティは対他的な意識があって生まれるものだし、どんな形であれ自文化を意識し言語化することは新たな文化を生み出す契機になる。大事なのは、「和風」がそのような自意識のもとに作られたことを十分に認めつつ、そのなかで何を評価すべきかという批判的な意識を持つことだ。それは心地よい「自然」に居直らないこと、あるいは夜郎自大を戒めとすることである。「夜郎」は辺境の小国にも中央の大国にも珍しくない。