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#326

コートールド美術館展
― 加藤志織

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西洋美術史学に興味をもった者なら、いや印象派などのフランス近代絵画が好きな者であればきっと一度は耳にしたことがあるだろう。「コートールド」という名を。これは19世紀末から20世紀前半にかけて活躍したイギリス人実業家サミュエル・コートールド(1876-1947)の姓である。サミュエルは資産家の4代目に生まれ、さらにレーヨン産業などで巨額な利益を得ることになる。1901年のイタリア旅行においてフィレンツェやローマを訪れ、同地の美術館において大きな感銘を受けたことを一つの契機とし、後年(1920年代を中心に)みずからの美術コレクションを形成した。

収集された美術品は、この実業家がまさに生きた時代のフランス絵画、エドゥアール・マネ、クロード・モネ、カミーユ・ピサロ、アルフレッド・シスレー、ルノワール、エドガー・ドガ、セザンヌ、ジョルジュ・スーラと言った印象派およびそれに縁のある画家たちの作品を核にして構成されており、近代美術史を語る上で必須のコレクションと言われている。社会奉仕の一環としてサミュエルは1932年にコートールド美術研究所を設立し、さらには自分のコレクションをそこに寄贈することで、イギリスはもとより世界の美術史研究と教育の進展に貢献した。同研究所はロンドン大学に付属するカレッジであり、今日も美術史の分野で価値ある研究成果を発表し、優秀な人材を輩出している。

そのコレクションの一部が、昨年の秋から日本で公開されている。今回はその紹介をしたい。コートールド美術館展は東京都美術館での会期を終え、現在は愛知県美術館(~3/15)を巡回中である。この後には神戸市立博物館(3/286/21)に場を移す予定である。なお、この記事は基本的に終了済みの東京都美術館における展示に基づき執筆した。

本展の目玉は、印象派の登場に先鞭をつけたエドゥアール・マネの晩年の大作《フォリー=ベルジェールのバー》(1882)である。パリに実在するミュージック・ホールの内部にあるバーのカウンターに立ちながら客と会話するバーメイドの姿が描かれた絵画だ。このマネの代表作を間近で見ることができる。またルノワールの名作《桟敷席》(1874)も観賞できる。ちなみにこれら2点は、サミュエルが購入したコレクションの中で最も高額な作品にあたるらしい。この場ではすべてを紹介することはできないが、これら以外にも見るべき作品は多数あり、あらためて作品を集めたサミュエルの鑑識眼の確かさと趣味の良さに驚かされる。

そのマネの傑作はもちろん、私がとくにお奨めしたいのはセザンヌだ。会場に入ると名品・傑作が多数出品されており、順路にそって歩きながらそれらをうっとりと眺めることになる。まず出迎えてくれるのはホイッスラーの《少女と桜》。そしてゴッホやモネの風景画が視界に入ってくる。そこに表現されている、太陽光に照らされて輝く木々や大気の様子に目を奪われて、自分が外光の遮断された室内にいることをひと時忘れてしまう。さらに進むとセザンヌの作品と対面することになる。同展では、しばしば「近代絵画の父」と呼ばれるこの画家の作品を複数見ることができる。《アヌシー湖》(1896)、《レ・スール池、オスニー》(1875頃)、《ノルマンディーの農場》(1882)、《ジャス・ド・ブッファンの高い木々》(1883頃)、《大きな松のあるサント=ヴィクトワール山》(1887)、《カード遊びをする人々》(1892-1896)、《キューピッドの石膏像のある静物》(1894頃)など、どの作品からもこの画家特有のタッチと色使いによって構成された画面を確認することが可能だ。また、今回はこれらの絵画と共にセザンヌが画家であるエミール・ベルナールに宛てた書簡が展示されており、その中にはセザンヌの絵画理論としてよく知られたフレーズ「自然を円筒、球、円錐によって扱え」が含まれている。この理論が、何を意味していて、どのような表現に結実したのか、実物の前で考えてみてはいかがだろうか。

画像:東京都美術館(著者撮影)