アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

空を描く 週変わりコラム、リレーコラム

TOP >>  空を描く
このページをシェア Twitter facebook
#164

「無用な論争を控えていただきたい」
― 池野絢子

Still Life 1946 Giorgio Morandi 1890-1964 Presented by Studio d'Arte Palma, Rome 1947 http://www.tate.org.uk/art/work/N05782

(2016.05.22公開)

先月、東京ステーションギャラリーで開かれた「ジョルジョ・モランディ——終わりなき変奏」展を訪れた。生涯を通じて、卓上の静物という限られた主題の反復のうちに、無限の世界を生みだした画家、ジョルジョ・モランディ(1890-1964)。来場者の数に驚くとともに、作品の前で、しばらく足を止めて眼を凝らしている、そんな人が多いのがとても印象的だった。そういえば、ボローニャのモランディ美術館に行った時もそうだった。一枚の絵画に、じっと向かい合っている人を幾人も見かける。モランディの作品には、そうやって鑑賞することを人に求める、そんな力があるのだろう。
あるいはそれは、作品について語ることに関しても、同じであるかもしれない。線や色彩、構図について吟味すること、あるいは別の作品と比べてみること。そして、じっくり言葉を練ること。これほどフォーマリスティックな分析を要求する具象絵画というのも稀なのではないか。しかし、だからこそモランディの作品を見ていると、時折ふと、ある欲望にかられることがある。周囲の雑音に振り回されることなく、自らの制作に没頭したモランディ、この孤高の画家の作品を、ある時代のなかに位置付けてみたい、という欲望に。
かつて、美術史家・批評家のフランチェスコ・アルカンジェリは、モランディを「孤高の画家」ではなく、歴史のなかの同時代人として描き出そうとして、モランディ本人から激しい怒りを買ったのだった(この「事件」の顛末は、岡田温司『モランディとその時代』に詳しい)。アルカンジェリが描こうとしたのは、大戦を経て、具象から抽象へと向かう現代美術の大きなうねりのなかで、無言の闘いを挑む画家の姿だった。その草稿を眼にしたモランディはアルカンジェリに宛ててこう繰り返す——「無用な論争を控えて頂きたい」。
たとえば、アンフォルメルの先駆者としてモランディを位置付けること。そのようにして、美術史のなかにモランディのアクチュアリティを確保しようとするその刺激的な議論が、画家とその作品への強い敬愛の念から生まれたものであることは疑いない。だからこそ、モダン・アートとそれを取り巻く言説の絶えざる攻防に巻き込まれることを終生望まなかったモランディが、彼の草稿に怒りをあらわにしたのは当然なことであった。
「象牙の塔」を守ろうとする言説と、長きにわたる「塔」の幽閉から画家を解放しようとする言説。画家には怒られるだろうが、私は後者の言説にどうしても惹かれる。とはいえ、アルカンジェリのように、芸術潮流の推移のなかでこの画家の「闘い」の過程を描いてみせるだけの情熱も、はたまた、画家の一貫した歩みをつぶさに検討してごく些細な変化を読み取るだけの力も、私にはない。ただ、たとえばこう問うてみることは許されないだろうか。そもそもモランディは、いったいなぜビンや水差しを描き始めたのだろう?
「無用な論争を控えていただきたい」

セザンヌを彷彿とさせる「斜めの筆致」からなる最初期の風景画が、硬く凝固するかのような「もの」に変貌する1916年から1919年——この時期、モランディはジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)やカルロ・カッラ(1881-1966)とともに、形而上絵画と呼ばれる流派に関わった。後のモランディは、この時期の制作をよく思っていないようだが、それはとても奇妙な、けれど意義深い時代であったように思う。というのも、かつて未来派の画家であったカッラもまた、この時期に「日常的なもの」の持つ神秘に捕らえられていくからである。では、なぜ「もの」が問題になったのだろう。そこに、何かしらの時代の刻印を認めることはできないのだろうか。モランディなら「無用の論争」と宣告するかもしれない類の思いつきに、今しばらく、拘ってみたい。

興味を持たれた方へ:
『ジョルジョ・モランディ——終わりなき変奏』兵庫県立美術館ほか編、2015年
岡田温司『ジョルジョ・モランディ——人と芸術』平凡社新書、2011年
岡田温司『モランディとその時代』人文書院、2003年
岡田温司編『ジョルジョ・モランディの手紙』みすず書房、2011年

図版キャプション:
ジョルジョ・モランディ《静物》1946年、カンヴァスに油彩、37.5×45.7cm、テート・ギャラリー、ロンドン(フランクルト現代美術館に寄託)
ジョルジョ・モランディ《静物》1918年、68.5×72cm、ブレラ国立絵画館、ミラノ

図版出典:
・テート・ギャラリー公式サイト
http://www.tate.org.uk/art/artworks/morandi-still-life-n05782
Encyclopædia Britannica ImageQuest