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#282

自負と謙虚
― 早川克美

自負と謙虚

(2018.08.26公開)

人生、30年、40年、50年、60年、70年、生きた時間だけ様々な経験を積み、それが生きた証であり、その人の自負となる。自負の「自」は自分自身を意味する。「負」は、この言葉の場合、頼みとするという意味で使われる。つまり、自負とは、自分自身を頼みとする、という意味である。自負を英語に訳すると、「Pride」あるいは「conceit」と表現でき、前者は誇りを意味し、後者はうぬぼれというニュアンスとなる。自分自身に誇りを持って生きることは素晴らしいが、うぬぼれに転じてしまうと、その方の成長のための余白、つまり伸び代が失われてしまう。様々な年代の社会人学生の方に接していて、「conceit」な自負がご本人の成長を妨げていると残念に感じることがある。今日は、社会人学生の方々に向けて、私の思いをお話しようと思う。

私自身、46歳で大学院の門を叩いた。それまでの私は、デザインの世界で一定の成果を出し、第一線で活躍する方々との交流から築いた人脈を持ち、幾度とない修羅場のような現場を乗り越え、それなりに自分のやってきたことに自負があった。しかし、そんな私が大学院に入学すると、これまでの実績が、学びの世界ではほとんど役に立たない事態に遭遇することとなる。百戦錬磨の自分がこんなはずない!私にできないことがあるわけがない!ともがいた。もがけばもがくほど、局面は苦しくなっていった。
そんな時、恩師がこう言われた。
「早川さんは実践を積まれてきたことが素晴らしいけれど、研究という世界では生まれたての赤ん坊の状態でもあります」
これを聞いて頭から水をかけられたようにはっとした。なんということだ。うぬぼれていた。自分に恥ずかしくなった。私は学びに来たんじゃなかったのか。勘違いをしていた。心を入れ替えよう、赤子が言葉を覚えていくように心をまっさらにして学びに向かおう、そう思えるようになった。
学ぶということは目の前のことに謙虚に立ち向かうことなのだ。そう、謙虚さを取り戻せたことで、私は苦しさから解放され、自由な心持ちになれた。そして、学びの世界の果てしない広さを知り感激した。乾いたスポンジのように様々なことを吸収し、壁にぶち当たっては、乗り越えるべき壁が現れたことを喜べるようになった。自負は自分を支えるけれど、うぬぼれてはならないのだ。謙虚さの重要性に気づけたことは私の人生を豊かに奥行きのあるものにしてくれたと、恩師に心から感謝している。

さて、時間を現在に戻そう。

ある日、社会人大学生のお一人からメッセージをいただいた。今、その方は学ぶことが楽しいとおっしゃる。しかし、それは最初からではなかったとも言われた。ご本人から許可をいただいたので、そのメッセージの一部をご紹介したい。

入学前の私は、講演依頼も多く、もう「わたしの知らない事なんかない」くらいのものだった。そんな私も60歳を迎えた時に、この大学の門を叩いた。
鼻持ちならないやつだったから、「なんだこんなものか?」くらいの気持ちで取り組んでいた。自分でも嫌な奴だったろう。
しかしやがて、いくつかのことに気が付き始めた。
まず自分の知識なんて、どれほどのものでもないということだ。知を振りかざすのは知のレベルの低い者の態度だ。ある日、ロバート・デニーロの「マイ・インターン」という映画を見た。この大学で学ぶ姿勢に悩んでいるときに見たこの映画は、彼が定年まで勤務した古いパラダイムの電話帳印刷会社の建物が、若い女性アン・ハサウェイの経営するネット通販会社になっていた。彼はそこに70歳にして一人のインターンとして勤務する。変化を受け入れながらダンディズムは守る。つまり、そういうことだ。
その態度を見て教えられた私は、人生観を変え、学ぶ姿勢を変えることができた。学ぶとはいかに人生において輝かしく貴重なものだったかを知った。

学ぶことは、「明日、その命が終わろうとしても、わたしは今日、本を読む」の心境なのだ。

この方は、「Pride」としての自負を持ちつつ、謙虚さに気づけたことで、学びの世界の自由で広大なひろがりに身を置くことができたのだ。素晴らしいメッセージに感激した。

間違いを指摘されることは誰もが不快だろう。正しいと思っていること、時間をかけて考えたことだったらなおさらだ。ただ、そんな時こそ一歩下がって謙虚に物事をみつめてみてほしい。足りなかったことは何だったのか、どうしたら良いのか、受け止めて考えてほしい。指摘されたアドバイスは、学びを進めるチャンスなのだ。自負は自負として自らを支える。その上で、学びの世界では謙虚に取り組む。そしてそれができた時、目の前に、自らの成長のための余白の広がりに気づくはずだ。
自負と謙虚をバランス良く自らの中に持っていただきたい。そういう方が一人でも多くなっていただけたらこの上ない喜びだ。