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アネモメトリ -風の手帖-

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#401

カラコンとカランコロン
― 宮 信明

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森の劇場 しいの実シアター

其内(そのうち)上野の夜の八ツの鐘がボーンと忍ヶ岡の池に響き 向ヶ丘の清水の流れる音がそよそよと聞(きこ)へ 山に当る秋風の音ばかりで陰々寂寞世間がしんとすると 毎(いつ)もに異(かは)らず根津の清水の下(もと)から駒下駄の音高くカランコロンカランコロンとするから

三遊亭円朝の名作『怪談牡丹燈籠』のクライマックス。焦がれ死にしたお露が、幽霊となって愛しい新三郎のもとへ通うシーンである。深夜の静寂を打ち破る、駒下駄の高く澄んだ音。その音に、聴き手は戦慄せずにはいられない。
「あれ? 幽霊に駒下駄?」。そう、ふつう幽霊に足はない。その常識を円朝は見事逆手にとってみせたのである。講談界の大立て者・二代目松林伯円も「円朝は贅沢だ、幽霊に下駄を履かせるんだから」と感嘆したという。
しかも、円朝はその音をじつに巧妙に使い分けている。

新三郎は白地の浴衣を着(き) 深草形(ふかくさがた)の団扇を片手に蚊を払ひながら冴へ渡る十三日の月を眺めて居ますと カラコンカラコンと珍らしく駒下駄の音をさせて生垣の外を通るものがある

この場面では、新三郎はまだお露が亡くなったことを信じていない。だからこそ、駒下駄の音も「カラコンカラコン」と、どこか軽やかなのだろう。ところがその後、人相見の白翁堂勇斎から死相が出ていると告げられ、新幡随院でお露の新墓を発見し、良石和尚から雨宝陀羅尼経とお札を授かる。さあ、その晩のこと。お露の幽霊は「カランコロンカランコロン」と駒下駄の音を高く響かせ、新三郎のもとへ近づいてくるのである。
「カラコンカラコン」と「カランコロンカランコロン」。わずかなちがいだが、そこには千歩の隔たりがあるといってよいだろう。名人・円朝の工夫は、隅々にまで行き届いている。まさに「神は細部に宿る」、いや「霊は細部に宿る」というべきだろうか。

この駒下駄の音に魅せられたのが、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲である。『霊の日本(In Ghostly Japan)』に収められた「宿世の恋(A Passional Karma)」は、この『牡丹燈籠』を再話したもの。これまでも、妻のセツを通して知った円朝の怪談噺、五代目尾上菊五郎の歌舞伎、石川鴻斎『夜窓奇談』、チェンバレン『日本口語文典』などが、その典拠として指摘されてきた。だが、それはさておき、ここでより興味深いのは、八雲もまた二つの音を聴き分け、そして使い分けていることではないだろうか。

その夜の静けさの中から、不意に駒下駄の音が響いてくる——カラコン、カラコン——それが滑るように、こなたへ近づいて、庭にめぐらす生垣にさしかかる。

鐘が止む。と、新三郎の耳にいつもの方角から駒下駄の音が——いつもよりゆるゆると近づいてきた。カランコロン、カランコロン。

「カラコン、カラコン」と「カランコロン、カランコロン」。特に、「カランコロン、カランコロン」には、「いつもよりゆるゆると(this time more slowly)」と添えられ、その音の効果がいっそう強調されている。
よく知られているように、妻のセツが語る怪談から着想を得て、八雲は自らの作品を生み出していった。

淋しさうな夜、ランプの心を下げて怪談を致しました。ヘルンは私に物を聞くにも、その時には殊に声を低くして息を殺して恐ろしさうにして、私の話を聞いて居るのです。その聞いて居る風が又如何にも恐ろしくてならぬ様子ですから、自然と私の話にも力がこもるのです。(「思い出の記」)

16歳の頃、学校で友人と遊んでいるときに事故に遭い、左目を負傷して失明した八雲。だからこそ、音に魅せられ、音に鋭敏な感覚をもっていた八雲。松江大橋を渡る人々の下駄の音にも心惹かれ、「大橋を渡る下駄の響きほど忘れがたいものはない。足速で、楽しくて、音楽的で、大舞踏会の音響にも似ている」(「神々の国の首都」)と、その興趣を記している。
このことにちなんで、現在、松江市内には「カラコロ広場」や「カラコロ工房」があり、地元の人々や多くの観光客で賑わっている。

それにしても、円朝『怪談牡丹燈籠』の駒下駄の音について、八雲に「あれを聴いたとき、どんな感じでしたか? 怖かったですか?」と感想を尋ねてみたかった。それが聞けないのは、はなはだ残念でならない。その耳に、円朝の「カランコロン」はどのように響いたのだろうか。

——といったような内容の講演を、先日、松江でさせてもらった。上の写真は、その会場となった「森の劇場 しいの実シアター」。日本で一番小さな公立演劇専用劇場だそうだ。小さいけれど、なんとも素敵な劇場である。
さあ、そういうことで(どういうことだ!)、ここからは思い出アルバム。次の写真は、八雲が行き交う人々の下駄の音に耳をすませた「松江大橋」。画像1
こちらは、「カラコロ広場」と、その壁に埋め込まれた小泉八雲のレリーフ。後ろ姿だね。
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そして、八雲が実際に住んだ「小泉八雲旧居」。清々しくて心地よい。
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ちなみに、講演の前日は松江水燈路の初日。「燈路(とうろ)」というからには、これも『牡丹燈籠』と関係するのではないか、と無理やりこじつけて(もはや講演内容とは何の関係もないが……)、せっかくなので紹介しておこう。
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最後は、松江城のあちこちにいたニャンコたち。天守閣への水先案内人ならぬ水先案内猫であった。
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猫といえば、『吾輩は猫である』の著者で、八雲の後任として東京帝国大学に着任した夏目漱石。その漱石は、「丸で林屋正三の怪談」のような不思議な話を描いた「琴のそら音」という作品で、円朝の『怪談牡丹燈籠』を念頭において、「余」の許婚の名前を「お露」ならぬ「露子」に設定したというが……、この話題について語りだすとまた長くなってしまうので、今回はここまで。

後半はちょっと脱線してしまったが、兎にも角にも、松江は楽しかったなあ、というお話。いや、ちがった。円朝の「カラコンカラコン」「カランコロンカランコロン」と、八雲の「カラコン、カラコン」「カランコロン、カランコロン」のお話。
以上、お粗末。

(2026年10月4日公開)