アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#32

ふたつの図鑑
― 西山隼人

(2015.07.05公開)

『花は足でいける』という言葉があります。
足繁く山に通い、探し回って見つけた植物は、床の前に座った時点で、半分以上いけ終わっているというような意味合いです。
また、植物の出生を知り、自然の美しさを身を以て感じながら野山を駆け巡る作業は、『足でいける』と同時に『目でいける』ことだとも思います。
大きな山の中から、一本の木を選び、さらにそこから枝ぶりの良いひと枝を見つけることは、花をいけるものにとって一番学ぶべき『目の仕事』だと思うのです。

『手でいける』前に、すでに『足と目でいけ終えている』という感覚は、経験のない方には分かりにくいかもしれませんが、花屋で売っている育てられた花と、実際に山野に生えている花の違いは、見比べてみると感じることだと思います。

私は、花屋で売っている花が全て悪いとは言いませんが、長年花の業界に携わっていると、花屋(花市場)で手に入る植物のほとんどに魅力を感じなくなってきます。自然だけど人工的な植物は、見るのも、いけるのも好きではありません。
人工的な植物という言い方は、花の生産者に失礼な表現かもしれませんが、実際に生花は造花に近づき、造花は生花に近づいてきているというのが現状です。
花の生産、流通を考えると仕方がないのかもしれませんが、それが何を意味するのか、植物(自然)を扱うものとして考えないといけないところだと思います。とくに私たち花屋は、季節を売る(贈る)を生業にしてるわけですから、なおさらです。

私の店では、仕入れになるべく市場を使わないようにしています。というよりも山野草は市場では買いたくても売っていないのですが。
そのため、花材集めは大変な労力を要します。自然に近いかたちで育てていただいた植物をあちこちから少しずつ分けていただいたり、自ら山に分け入ったりしています。店頭に並ぶ前の、足と目の仕事です。
市場でまとめて買えるならどんなに楽か、とは思うのですが、市場のもので惹かれるものに出会わないので仕方がないのです。

自ら山に出向く時、欠かせないものの中にふたつの図鑑があります。
ひとつは手のひらにのる本の図鑑です。特に重宝しているものは、葉っぱばかりが載った図鑑と樹皮ばかりが載った図鑑、それから掲載数の多い山野草の図鑑です。
市場の植物には名前がついていますが、自然の植物にはついているわけがありませんので、名前を知る上でも図鑑は必須になります。持ち帰って調べるのではなく、なるべくその場でぱらぱらと図鑑をめくるようにしています。

もうひとつは、生きた図鑑です。
生きている植物そのものが図鑑だとする考え方です。
どのような職業もそうだと思いますが、まずよく見る(観察する)ことが大切で、力になることだと思います。
本の図鑑は目の前の生きた植物を観察することを手助けしてくれる道具ではありますが、図鑑(やネット)だけでは調べたつもりで、すぐに忘れてしまいます。
生きた図鑑は横や後ろからも見ることができ、触れ、匂い、その周辺の環境も知ることができます。生きた植物から得る情報は、本の図鑑のそれよりはるかに多く、濃いので忘れることがありません。

また足繁く山に通い、そうしたことを続けていると、いろいろな自然の美しさを感じとれるようになります。
花のみを『花』と考える西洋人と違い、横顔や後ろ姿、あるいは茎や葉も『花』であると考える我々日本人の多様な感性を体感できます。朽ちた木や虫食いの葉、苔むした枝など美しいと感じられる幅が、自然の植物に触れるとどんどんと広がっていくようです。
一度、そういう『目』を手に入れると、山は美しい宝物の宝庫で、山に出向くことが楽しくてしかたなくなります。

生きた図鑑は、自らが出向かないと触れることができませんが 、なによりも学べる道具だと思います。
手のひらサイズの持ち運べる本の図鑑と、動かない大きな生きた図鑑、ふたつの図鑑を私はとても大切にしています。

ikekomi09

撮影:西山隼人

西山隼人(にしやま・はやと)
京都の花屋「みたて」店主。1981年生まれ。京都造形芸術大学空間演出デザイン学科卒業。妻の美華さんとともに2013年「みたて」を始める。日本人の美意識が生み出した「見立て」の感性をよりどころに、植物で表現する新しい価値観を探る。現在、ライフスタイル誌『&Premium』(マガジンハウス)で連載中。