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#58

作法
― 加藤志織

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(2014.04.17公開)

今週は作法についてのお話。

世の中、あらゆることに作法がある。もちろん作法を知らなくても生きてはいけるが、それだと生活のあらゆる場面で困ったり不具合に出くわしたりする。作法とはなにも行儀にかんするものだけに限られるわけではない。例を挙げれば、服装の選択もTPO(時間・場所・場合)を考慮に入れなければならないし、コミュニケーションの仕方もやはり装いと同じように相手や場合によって変える必要がある。またアイドル歌手の熱烈なファンの間には、応援方法にも決められたルールがあり、その作法を守ることを要求される。

これらの例において重要なことは、衣服、コミュニケーション、応援、それら自体の「美しさ」ではなく、いかに定められたルールに基づいて適切に行動がなされているかということである。言うまでもないが、いくらセンスが良く高価なドレスであったとしても、黒くてシンプルなデザインでなければ葬儀には適さない。コミュニケーションやアイドルの応援方法についても同じような事が言える。

当然、ルールの実行には、それに先駆けてルール自体を知っておく必要がある。しかし、そうしたルールはしばしば明文化されていない。また困ったことにそれは公開されていないことも多い。楽天イーグルスで活躍した田中将大投手が今季からニューヨーク・ヤンキースに移籍したが、アメリカのメジャーリーグと日本のプロ野球との間にも、そうした不文律の違いがいくつかあると言われている。日本では、投手が打者を三振に打ち取った場合などに派手なガッツポーズをすることがあるが、これはアメリカでは打者を侮辱する行為とみなされ、それを実行すれば無粋な振る舞いとして批判の的になる。

こうした違いはある意味ベースボールと野球の違いとも言えよう。しかし、もちろんゲームを進める上で必要な規則は両者に共有されているので試合をすることは可能だ。ただ、ここで注意すべき点はゲームにとっては勝敗がすべてではないということである。もちろん、ベースボールも野球も勝負事には違いない。だが、それらは勝負事であるとともにゲームでもある。

ゲームとはたんに勝ち負けを決めるためだけに行われる訳ではない。ゲームに参加すること自体がその目的になり得ることをわれわれは知っている。つまりゲームとは遊びなのだ。ゲームが、その行為をすること自体が目的となり得る遊戯である以上、そこでは決められたルールのなかでいかに上手く楽しむか、いかに適切に振る舞うか、ということが問われることになる。これはスポーツのような狭義のゲームに限らず、コミュニケーションや振る舞いといったものにもある程度適用可能であろう。

さて、ここでもう一度、不文律に話を戻そう。言語化されていないルールほど厄介な存在は無い。それを会得するためには、そうしたルールに基づいて行われるゲームに実際に参加してみずから体験して身につけるほかない。故に不文律の習得は困難を伴うことになる。そうした不文律のもとで実行されるゲームは意外にも社会に多数存在していて、人々は成文化されていないルールや作法といったものを学ぶ必要があるにもかかわらず、それを容易に学習することができない。

たとえば16世紀の文化的な先進地であったイタリアには各地に宮廷があり、そこに出入りする宮廷人が多数存在した。彼らにとって宮廷は、みずからの出世を左右する場所であったために、そこでの立ち居振る舞い、身だしなみ、会話術、礼法といったものが大きな意味をもつことになった。しかし、上手く行動できる者とそうでない者が必ずいる。自己PRに専心するあまり、場にそぐわない派手な衣装を身につけたり化粧したりする者、あるいは努力の跡や自分の意思をあけすけに振る舞いに表す者は洗練された宮廷文化には似つかわしくない人物、野暮な奴だとみなされた。

宮廷人たちが必要とした会話の仕方、さまざまな礼法や振る舞いの作法といった不文律は、本来は長い時間をかけて環境や学習から身につけるべき教養であったが、それを彼ら彼女らの多くが即席で習得しすぐさま実行可能な知識、すなわち明文化された情報として欲したために、そうした知識を記した書物が16世紀の初頭から幾冊も書かれることとなった。その代表的な作品がイタリア出身の外交官にして著述家のバルダッサーレ・カスティリオーネ(Baldassare Castiglione、1478年―1529年)が著した『宮廷人』(Il Cortegiano、1528年出版)である。これは振る舞いの美を論じた書物として耳目を集め、瞬く間にイタリア語からヨーロッパ各地の言語へと翻訳された。その後、やはりイタリア人の文学者ジョヴァンニ・デッラ・カーサ(Giovanni Della Casa、1503年―1556年)が、より実践的で一般教養人にも利用可能な礼節や作法の解説書である『ガラテーオ』(Galateo、1552年~1554年執筆)を記している。

最後に西洋の上流階級の恋愛作法について紹介しておこう。カスティリオーネやデッラ・カーサの時代よりも200年あまり後の話であるが、上層階級ではゲームとしての恋愛作法がより洗練されることになる。たとえば貴婦人たちは、しばしば言葉による会話ではなく、手に持った扇を用いることによって、意中の相手にみずからの意思を伝えたと言う。部分的に広げた扇は、会う時間を相手に問う仕草とされる。その他にも扇の状態によってさまざまな意味を伝えることができたそうである。もちろん、このようなゲームに参加できるのは、事前に作法を心得た者だけである。それを知らない無骨者はゲームの輪に入ることを決して許されない。18世紀のヴェネツィアで活躍した画家ピエトロ・ロンギの作品には、貴婦人たちが扇を使用して発した数多くの暗号が描かれている。今回ご紹介した作品は1746年に制作された《歯医者》(ブレラ絵画館、ミラノ)である。