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アネモメトリ -風の手帖-

空を描く 週変わりコラム、リレーコラム

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#370

われても末にあはむとぞ思ふ
― 宮 信明

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「崇徳院」という落語をご存知だろうか。それは、こんな噺である。

出入りの家から呼ばれた手伝てったいの熊五郎。聞けば、幼馴染の若旦那が患いついているという。医者の見立てでは、気の病で「あと数日の命」とのこと。親旦那に頼まれた熊五郎が聞き出したところ、これがなんと恋わずらい。高津神社にお参りにでかけた際、絵馬堂の茶店で出会ったお嬢さんに一目惚れしたという。お嬢さんが茶店を出ようとしたとき、緋塩瀬の茶袱紗を忘れて行ったので、若旦那がそれを渡してあげた。すると、丁寧にお辞儀をしたお嬢さんから「瀬をはやみ岩にせかるる瀧川の」と、崇徳院の歌の上の句を書いて手渡され、それ以来、ファ~ッとなって頭が上がらないという。親旦那から、そのお嬢さんを探し出してくれたら、莫大な礼金と礼物を出すといわれた熊五郎。崇徳院の歌だけを手がかりに必死の捜索を始めるものの……。

この噺、上方落語中興の祖と称される初代桂文治の作といわれている。が、本当のところはよくわかっていない。そもそも、五代目笑福亭松鶴や四代目桂米團治が高座にかけるまでは、ほとんど演じ手のいない噺であった。
昭和12年というから1937年の10月16日、三越ホールで開かれた第2回「上方はなしの会」において、桂米之助(後の四代目米團治)が演じた「崇徳院」は、「珍らしい出しものだった。今頃はめったに聴けない噺だし、やっても客が喜ばないだろう」と評されている。なかなか手きびしい。
しかし、この予言はものの見事に外れる。大阪では六代目笑福亭松鶴と三代目桂米朝がそれぞれの師匠から受け継ぎ、東京には五代目松鶴から三代目桂三木助へと伝わることとなった。現在では、東西を通じて多くの落語家がこの噺を演じている。

一方、東京にも古くから、よく似た趣向の「皿屋」「花見扇」という演目があった。初代三遊亭円右や四代目春風亭柳枝、二代目柳家つばめなどの口演が速記として残されている。五代目古今亭志ん生は「花見の縁」と題して演じたという。「三年目」の発端とも、播州皿屋敷の世界へと発展していく人情噺の冒頭ともいわれるが、こちらも、その関係性はよくわかっていない。

いずれにしても、サゲをどうするか。
「割れても末に買わんとぞ思う」か。
「人徳があるはずや、見そめたのが高津さんや」か。
「離すんじゃねぇ、合わせて貰うんだ」か。
あるいは、オチをつけず「おめでたいお噂でございます」で終わらせるか。

また、崇徳院の歌を何に書くか。
扇子か。
短冊か。
色紙か。
料紙か。
はたまた絵馬が剥がれてヒラヒラと散ってきたのを拾って渡すという趣向にするか。

といった、瑕とも呼べないような瑕はあるものの、題材が恋わずらい、舞台が花の名所、狂言廻しが百人一首の歌、演目が天皇の名前というのだから、これほど道具立ての揃った落語も珍しいのではないだろうか。

若旦那がお嬢さんを見そめる花の舞台は、大阪では、古くは京都の清水寺か生國魂神社、五代目松鶴、四代目米團治のころには高津神社に落ち着いている。東京では、「皿屋」のころから上野寛永寺の清水観音堂、いわずと知れた桜の名所である。庶民が上野の花を楽しむようになったのは、四代将軍家綱の治世。八代将軍吉宗のときには、飲めや歌えと騒いだために歌舞音曲や酒宴が禁止され、庶民は隅田川堤や飛鳥山へと出かけるようになったという。酔っ払いがいないので、大家のお嬢さんがお花見をするには、まさにうってつけ。『江戸名所図会』にも「清水堂花見図」の挿絵とともに、宝井其角の「鐘かけてしかもさかりの桜かな」の句が添えられている。

とはいえ、「崇徳院」という落語は、ただきれいにまとまっただけの噺ではない。恋わずらいを題材にしているから、いっけんすると「恋」がテーマのようにも思えるが、六代目笑福亭松喬は、「こうなったら私も欲と二人連れ」という熊五郎のセリフが象徴するように、この噺のもっとも重要なモティーフは「欲」であると喝破した。若旦那や親旦那、熊五郎や熊五郎のおかみさん、お嬢さんやその家族などなど、若旦那とお嬢さんの恋をめぐって、登場人物それぞれの思惑、つまり欲が交錯する。

「恋」と「欲」。それが「崇徳院」という噺を、ただの恋愛譚にしていない大きな理由だろう。「欲」のない「恋」ほど、味気ないものはない。「恋」のない「欲」ほど、はしたないものはない。「恋」と「欲」、その両方があるからこそ、「崇徳院」という落語の世界では、登場人物たちが活溌溌地に躍動するのである。
もしかすると、それは「瀬をはやみ…」という恋歌を作りながらも、保元の乱で敗れて讃岐に流され、舌を噛み切ったその血で、「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」「この経を魔道に回向す」と血書、天狗となり、死後は怨霊にまでなったと伝承される崇徳院という人物のもつ二面性とも、一脈相通ずるところがあるのかも知れない。

いや、さすがにそれは、ちょっと深読みしすぎだろうか。