アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#63

ろうそく
― 大西巧

(2018.03.05公開)

ろうそく屋をやっております。代々家業としてやっていまして、私で4代目になります。大正3年が創業で、年数でいうと、100年ちょっとです。
100年というと、みなさんすごいですね、と言ってくださいますが、京都にはそんな企業は溢れていますし、業界で見ても、うちは若い方です。
ただ、こういう「若い」というのは、信用というところで見ればハンデなわけでして、しかもうちは京都でなくて滋賀県にあって、その滋賀の中でも高島という高齢化率県内ワースト2位の僻地でやらせていただいていますので、まぁそれはお商売しにくいところなのです。その点、京都のろうそく屋さんは羨ましいです。大きいお寺さんもたくさんありますし、茶道のお家元もいらっしゃるでしょ。ろうそく屋が残るべくして「残れる」場所じゃないですか。これはものすごいアドバンテージですよ。
こういうハンデを背負ったうちみたいなろうそく屋がお商売を続けさせてもらおうと思ったら、技術や素材やアイディアの基盤となる「これがうちです」というぶれることのない強い信念が必要です。
うちの信念は、「ろうそくは未来に残したいものなのか」ということに直向きであることです。先に「お商売を続けさせてもらう」と書きましたけど、真意はここです。ろうそくは未来に残したいものなのか、残すべきものなのか。そのために、「ろうそくとは何か」の解を仮定し(この仮定が信念となるのですが)、それを検証し続けること。私はいまそれを仕事としてやっているというわけです。
さて、ろうそくとは何かの前に、昨今、火を見ませんよね?
焚き火なんて全然見ません(我が僻地ではたまに見ますけど)。オール電化の家庭も増えて、キッチンでも火を見ません。
だって、火って火事になるじゃん。危ないよね。
大方そんな思考からくるものなのでしょう。私はそれを否定しませんが、「火と火事と紐付けて火を生活の中から遠ざけること」×「火を使わない方が効率的である」=ろうそくは未来に必要でない、という安直な方程式とその解には、ちょっと待てと言わせてもらいます。
なぜなら、そもそも、和ろうそくが大活躍していた時代(最盛期は明治初頭)なんて、まあ火事も多かったですけど、日本家屋のほとんどは木造家屋ですよ。
今よりも家の中に火を入れることがリスキーな時代に、どういう思考(或いは境地)に至れば、そのリスクを受け入れていけたのか、は少なくとも検証する必要があるんです。私は推測でもいいから、その思考回路に触れたいと思いました。
突然ですが、丙午(ひのえうま)って聞いたことありますか? 丙午年の生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮める」といって、出生率が下がるあれです。また、江戸期には、「丙午の年は火災が多い」という迷信もあって、要は嫌われ年なんです。
なんでそんな迷信ができたのか、それは、「丙」と「あばれ馬」の最強コンボがそうさせているんですが、「あばれ馬」はなんとなくわかるけど、「丙」とは何でしょう。
調べたらすぐ出てくるのですが、丙の語源は火の兄(ひのえ)です。
兄がいれば、弟もいます。丁(ひのと)といいます。火の弟(ひのと)ということです。
これは、中国の十干という思想で、契約書とかで、甲は~、乙は~とかあるでしょ。あれには十種(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)あって、甲(木の兄・きのえ)と乙(木の弟・きのと)のように、五行・木火土金水の順番に当てはめて、それぞれ「【木】甲・乙」「【火】丙・丁」「【土】戊・己」「【金】庚・辛」「【水】壬・癸」のペアに兄と弟がいるんです。これを総じて、十干といいます。
そして、ここでの兄と弟の関係は、兄に「ありのままの自然」を、弟に「人と自然が共存した姿」をあて、自然のもつ二面性が捉えられていました。
なるほど、江戸期に広まった「丙午の年は火災が多い」というのは、火のありのままの姿=火災というところから来ているのかもしれません。
ここで、火が持ち合わせる二面性。兄と弟の関係。この点に着目していきたいと思います。
私たちが「火」と一括りにしていたものの中に、実は二面の「火」があった。
ありのままの制御できない畏怖すべきと、人が工夫することで共存し、恩恵を受ける
2014年、このことばかりを考えていた大西は、この二面性から「火を家の中に入れた人々の思考」を説明できないだろうか、と考えていました。創業100周年のタイミング。どのように考えられれば向こう100年、人類の手元に火を残すことができるのか、そんなことばかり考えていました。
先人達が火を丙と丁に分けていたこと、それを立証できたなら。
いろんなことをノートに書き込み、ああでもない、こうでもないとおもむろに「丁」の左側に「火」と書いたところで、あぁ残してくれていた……感慨に耽り、先人達の叡智におそれいりました、と感服しました。
彼らの思考の指先に触れた感覚があり、心が震えました。
今よりももっとプリミティブな道具が多かったひと昔前、みんな手入れして道具を大切にしていました。
身を守るため、疎かにすれば牙を剥く自然をなんとか制御できないか、というところから、完全には制御できないけど、これだったらなんとか! という道具を作りあげ、その前提と精神を支えていたのが、十干の思想だったのかもしれない……
そんなことを考えていたら、私はこれにものすごく人間らしいロマンを感じてしまって、手前味噌でありますが、ろうそくかっけー! と思ってしまいました。
火と人の関係は「灯」がつないでいる。
この仮説を私は生涯かけて検証し、立証しようとしています。火と人、つまり自然と人の適切な在り方を未来へ繋ぐのは人。切り離すのも人なんです。
「灯」が私たちに問いかけます。
ろうそくは未来に残したいものですか?

400年ほど、変わらない製法と素材で、もっとも美しく燃える形にデザインされた ろうそくを手で仕上げていく。

400年ほど、変わらない製法と素材で、もっとも美しく燃える形にデザインされた
ろうそくを手で仕上げていく。

櫨という植物の実から採れる蝋のみでつくる櫨ろうそく。 蝋垂れや油煙がほとんどなく、美しく燃え続ける。

櫨という植物の実から採れる蝋のみでつくる櫨ろうそく。
蝋垂れや油煙がほとんどなく、美しく燃え続ける。

hitohitoのお米のティーライトキャンドル。 お米のヌカから採取された蝋のみを使用したティーライトキャンドル。 嫌な匂いは一切なく、生活の中でも使いやすい形に。

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お米のヌカから採取された蝋のみを使用したティーライトキャンドル。
嫌な匂いは一切なく、生活の中でも使いやすい形に。


大西巧(おおにし・さとし)

和ろうそく職人。和ろうそく大與(だいよ)・4代目当主。1979年滋賀県高島市生まれ。
2005年に家業である有限会社大與に入社。2011年に自らがデザイン・プロデュースを手掛けた「お米のろうそく」でグッドデザイン賞・グッドデザイン中小企業庁長官賞を受賞。2012年に代表取締役に就任。2014年に火と人の関係を検証するブランド・hitohitoを創設する。