アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#140

アイリッシュ・ミシンと消えゆくものたち
― 青山 悟

(2024.08.05公開)

シンガー社製の古い工業用ミシンで現代美術の作品を制作しています。今のミシンを手に入れたのは1998年、ロンドン大学ゴールドスミスカレッジのテキスタイルアート学科を卒業した年でした。ジェンダースタディーを基礎とするこの学科にはミシン室があり、工業用から家庭用、当時最新のコンピューターミシンまで、あらゆる種類のミシンが揃っていました。その中でなんとなく惹かれるものがあり、手に触れてみたのが通称「アイリッシュ・ミシン」と呼ばれるものでした。

アイリッシュ・ミシン

アイリッシュ・ミシン

Ticket to ride (青山悟の乗車区間) 2022 ポリエステルに刺繍 各3 x 5.8cm

Ticket to ride (青山悟の乗車区間)
2022
ポリエステルに刺繍
各3 x 5.8cm

ミシンは女性の近代化の歴史と共にあります。ここ日本でもジョン万次郎が母親へのお土産としてアメリカから持ち帰ったものが初めての家庭用ミシンであるということは有名ですが、今日の研究では洋の東西を問わず、ミシンは女性の内職のための道具に留まらずに、女性の「自活」という発想に大きく貢献したことが知られています*1。ともあれ、学生のほとんどが女性であるテキスタイルアート学科で、日本人男性の自分がミシンを選択することには自然と意味が生じます。その意味について考え、作品へ昇華させようとしてきたのが、自分の今までの作家としての歩みになります。

学部時代はミシン刺繍とシルクスクリーンを組み合わせながら、自身のアイデンティティーを主題とした図像をポップに表現していましたが(この時期の作品は未熟で恥ずかしいのですが捨てられず、家にひっそり保管してあります)、卒業するとシルクスクリーンをやめ、ミシンのみで制作したいと思うようになりました。そこで、大学と同じものをミシン業者に探してもらって、ようやくご高齢のイギリス人女性から直接購入できたのが今も使っている一台です。価格は700ポンド、当時のレートで20万円弱だったでしょうか。型番107w102と書かれたこの機種の詳しい年代を特定するのは非常に困難ですが、今までインターネット上で見かけた同機種の一番古いものは1911年製造とありました。市場では1920年代後半に製造と紹介されているものを多く見かけますが、ひとつ確かなのはこのモデルはとうに生産中止になっており、状態の良い個体を探すのが年々困難になっているということです。ちなみにさきほどe-Bayで調べたところ、現在の相場は40万円前後とありました(恐らく今使っているミシンを後生大事に使うことになるでしょう)。

手のひら4

アメリカの会社のミシンがなぜアイリッシュなのかは長年の謎だったのですが、どうやら1900年代、イギリスのオートクチュール刺繍全盛の時代に、アイルランド人がこのミシンを使い始めたことに由来するようです。この機種の特徴として、通常のミシンのように布を押さえたり、送ったりする機能が付いていません。つまり縫いながら自由に布を動かすことができます。そしてテーブル下に位置するレバーを膝で押し込むことによって針がジグザグに動きます。レバーを強く押し込めば、針は横に大きく振れ、弱く押し込めば小さく触れます。この機能が付いているミシンのことを総じて「横振りミシン」と呼びます。アイルランドの刺繍よりも、スカジャンの背中に入っている龍や虎の刺繍や、筆で描かれた文字のような刺繍を思い浮かべてもらうとわかりやすいでしょうか。ジグザグに針を動かしながら速さをコントロールすることによって、太い線も細い線も自由自在に描けます。今ではコンピューターミシンに代替されることも多い機能ですが、この横振りを使いこなすには何年もの修練を必要とします。そして残念なことに今ではこの技術を習得している職人の数はだいぶ減ってきているそうです。加えて横振りミシン自体を見かけることも少なくなっているため、今後、後継者の育成はさらに困難になっていくことでしょう。かくいう自分自身は、せっかく横振りミシンを持っているにも関わらず、この技術の本格的な習得は道半ばにして、今ではまっすぐ針を落とす縫い方でのみ制作しています。どうやら横振りは実際の針の動きが脳内のイメージを裏切るようで、何度も指を縫いそうになり、あまりのリスクとコントロールの難しさに、その都度諦めモードに入ってしまいます。何年かに一度、思い出したように挑戦してみるのですが、結局横振り機能を使って発表できた作品は約25年のキャリアで一点のみ。付いている機能を使わないのはもったいないのですが、自分が作品に求めるクオリティーに技術が付いていかないというのが正直なところです。今後も少しずつ修練を積もうと思いますが、現代美術作家としてはむしろ現役でミシンを踏む職人さんたちに焦点を当てた映像作品を撮りたいと思っています。

横振り機能を使って唯一発表できた作品 滝野川クロニクル・クロック 2022

横振り機能を使って唯一発表できた作品
滝野川クロニクル・クロック

滝野川クロニクル・クロック 2022 コットンに刺繍、時計のムーブメント 直径45cm

滝野川クロニクル・クロック
2022
コットンに刺繍、時計のムーブメント
直径45cm

ところで、近作は工業用の横振りミシンのような消えゆく道具を使って、「消えゆくものたちの小さなモニュメントを作る」ことを主題にしています。「消えゆくもの」の中には、例えばお札や電車の切符など、既にデジタルへと移行しつつあるものはもちろん、労働者や職人、彼らが身につけた技術など、人間性や人間的な営みそのものも含まれます。また構造的差別など「消えていかなくてはならないもの」にどのように向き合うかもテーマになります。今年4月に目黒区美術館で開催した個展に付けた「刺繍少年フォーエバー 永遠なんてあるのでしょうか」というタイトルは、逆説的に今私たちが生きる社会の中で「消えゆくものや見えざるもの」を可視化するという意図を込めたものです。同時に、持続可能な社会についての考察を促すものであります。25年以上も前になんとなく手に触れた横振りミシンは、今では自分にとって刺繍をするための道具である以上に、社会を考察するためのきっかけとなるものなのです。

個展「刺繍少年フォーエバー 永遠なんてあるのでしょうか?」より

個展「青山悟 刺繍少年フォーエバー 永遠なんてあるのでしょうか」より

参考文献
*1 アンドルー・ゴードン『ミシンと日本の近代:消費者の創出』みすず書房、2013。


青山 悟(あおやま・さとる)

1973 年東京生まれ。
ロンドン・ゴールドスミスカレッジのテキスタイル学科を 1998 年に卒業、2001 年にシカゴ美術館附属美術大学で美術学修士号を取得し、現在は東京を拠点に活動。
工業用ミシンを 用い作品を制作している。
http://satoru-aoyama.com/