アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#26

ヘラ
― 杉山早陽子

(2015.01.05公開)

定規、ナイフ、楊枝、角材‥‥‥
和菓子を作るスイッチが入った時、それらはいつもの役割をやめて、ヘラに変わる。
スイッチが入る時は必ずしも工房とは限らず、和菓子の道具が揃わない喫茶店だったり、どこかのお宅だったりする。そんな時には周りをキョロキョロしてヘラを探す。自分の中でヘラとして使える分厚さの範囲が決まっていて、どんな筋が入るか想像して見極める。筋を入れることが出来たらそれらは全てヘラという道具になるのだ。
試作を持っていった打ち合わせの席でのこと、雲の形のお菓子がもう少し横長の方がいいかなと意見が出た。
私は「ちょっと変えてみましょうか」と言って手の中で形を変え、ヘラ(楊枝)で筋を付け直し、顔を上げると、周りの人の顔が手品を見た後の観客の様になっていた。自分にとっては何気なく当たり前のことだったが、笑顔に囲まれた私は手品師の様な気分になっていた。
可塑性に富む素材だからこそ、ヘラの存在がある。食べるだけではない、素材としての面白さを持つ和菓子であることを証明するような出来事だった。

通常愛用しているのは三角ベラというヘラ。三角柱が伸ばした形で細い筋、太い筋、二重の筋が付く、三つの角を持つ。職人が一番最初に手に取る道具とも言え、中には自身で作る人もいる。実際に私の持っている三角ベラは和菓子屋で働いていた時に職人さんが作ってくれたのを餞別にもらったものだ。三角ベラを持った職人はまず菊の花びらを作る練習からはじまる。「ヘラ菊」という技の名前まで付いていて、試験の題材になる程、筋の入れ方を学ぶには相応しい技術である。和菓子の世界に入った頃、私もヘラ菊を何度も何度も練習した。もちろん初めは上手く出来ず、工場長の手つきをじっと観察しては練習の繰り返し。そして、ある時〝技〟になる瞬間が訪れた。右手で持つヘラと左手で持つ和菓子のバランスが取れた時、菊の花が咲き始めた。練習する時間の中で徐々に上手くなって行くというよりは、出来た瞬間を強く実感したことを覚えている。例えるなら自転車が乗れた時と同じ感覚で、一度覚えたらやるのが楽しくて仕方ない。それからはお客さんの前でもすいすいと菊の和菓子作りを楽しんでいた。技を覚えてから、それ以前の捻れた形を真似しようとしたことが何度かあるが出来なかった。自転車に乗れない真似なんて出来ないのと同じ様に。

三角ベラは私にとっても最初の道具だったが、私は和菓子職人になりたい訳ではなかった。あくまでも和菓子を表現のツールとして捉え、食べて無くなる儚い作品でありながら、食べても満足できるものを作りたいという欲張りで変わった想いを持って和菓子屋に入った。受け継ぐという責任感はもちろん無かったし、ツールとしての和菓子技術を手に入れることだけが自分の目標だったので、ヘラ菊を練習したのも、この技術を伝承したいとかいう思いは無く、ヘラ使いをしっかり身に付けようという野心からだった。
和菓子の世界に入るきっかけがそんな理由だったので、和菓子職人と肩書きを付けられると、とてももどかしい気持ちになる。職人と同じ三角ベラを愛用し、ヘラ菊も一人前に出来る様になった。職人と呼ばれる要素は揃ったのに。
好奇心だけで動いている私は、同じ形に美しく仕上げ続ける職人の世界からはどうしても飛び出してしまうのだろう。日々感じる楽しさや儚さを和菓子に乗せ、誰かに伝えること、そしてそれを体で消化してもらうことが着地点、記憶に残る一瞬を演出したいと思っている。三角ベラを使いこなす一方で、定規やナイフや楊枝や角材、筋が付けば何でもヘラと言ってしまう程、和菓子のことを柔軟に楽しんでいるからこそ生まれるものがあると思う。一筋に守り続けられる世界に魅力を感じながらも、二筋、三筋と増えていく世界をもう少し探ってみたい。

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撮影:杉山早陽子

杉山早陽子(すぎやま・さよこ)
和菓子作家。1983年三重県生まれ。食べたら無くなる当たり前のことに着目、
表現方法としての和菓子に可能性を感じ、京都の老舗和菓子店にて和菓子を学ぶ。くすっと笑える和菓子を創作する「日菓」、自然の色や形を生かしながら和菓子を実験的に作る「御菓子丸」を通して、鑑賞から食べるまでの行為を一つの作品として捉え、和菓子作りに励んでいる。