アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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キッチンエイドのスタンドミキサー
― シェリン

(2020.06.05公開)

人生、引っ越しが多い。これまでに10回以上も引っ越してきた。
東京やら湘南やら、歩いて5分の近所の引っ越しもあれば、海を越えてロサンゼルス、そしてここドイツへとコンテナ船での引っ越しもある。つまり段ボールにものを詰めるたびに、これは本当に必要? 本当に大切? と難問自問自答が繰り返されてきて、その上まだ続く。なのでたとえ仕事であろうと、このメーカーのこの品番でないとダメとか、何年も使って手になじんだものだけとか、決めつけないことがどこでも仕事をしやすくするコツであったりもする。
私は美術とお菓子の二本柱で仕事をしてきた。この2つの仕事は起点も落とし所も違うので、意識としては並行しているのだけど、似た素材を使ったりするので側からは違いがわかりにくいかもしれない。美術はお菓子でアート作品を作る。一方の仕事はクライアントのコンセプトに沿ってお菓子を作るといった具合だ。まあ、私が静かに思っていればそれでよしってとこですが。
美術のインスタレーションやプロジェクトといった作品制作で使うのは、ドライバー、カッター、ローラーといったいわゆる工具もあり、片やお菓子の仕事では、ボール、絞り袋、麺棒やらご想像どおりの道具が並ぶ。作業の方法が似ていると道具も似てくるわけで、中にはパレット、スキージ、粘土へらと共通しているものもある。その共通する道具の中でも、ボリュームも存在感も大きいのがキッチンエイドのスタンドミキサーだ。
25年以上も前、個展のインスタレーション作品で原寸大のお菓子の家というか部屋を作った。何しろ原寸大なので舞台の大道具のような力仕事だ。クッキーもオリジナルにこだわるわけではなかったのだけど、思い当たるものがないので自分で作らざるを得なかった。その量150㎏。確か。
延々と続く生地作りのためには、値が張るけれど、もうアレを買うしかない。そうして食に関するものがなんでもある問屋街、合羽橋へと足を運んだ。当時はamazonがあるわけもなく、その上アメリカからの並行輸入、注文販売の現金払いだったのだ。そのアレこそがミキサーだ。家庭用ながらビストロやカフェでも使われてる十分プロ仕様のパワーで、形状違いの変換プラグにはアースまで付いている。泡立てひとつでもごく均一にしっかりと仕上がる。プロポーションも美しい。そして自立しているので手でずっと持っている必要がない。スイッチを入れればその場を離れてもかき混ぜ続けてくれるので、その間に私は違う作業ができることこそ予想以上のメリット。
それからは大量仕込みには欠かせない道具となった。ただしお菓子の家プロジェクトのクッキー製作は、以後、製菓専門学校をお借りすることにしたけれど。
とにかく作品となると材料の量が半端でない。相手は一袋30㎏の砂糖や粉。大量のアイシングという砂糖のペースト作りのための粉砂糖も5㎏も入っている。シュークリームにパッと振りかけてあるあの白いのが5㎏。それらを何袋も延々と混ぜてこねて泡立てる。私やスタッフが疲れ果ててうなだれているあいだも、ミキサーはそれこそ文句ひとつ言わずに黙々と働いてくれるのだ。
そうして何年も使ううちに、グワーンというモーターの音の高さだけで回転速度がイメージできるようになり、またケーキの生地が十分に泡立ったかどうかもわかるようになってきた。
ただこのミキサー、そもそも何時間も休みなしで動くようにはできていない。だからオーバーワーク気味になるとだんだん熱くなってくる。また硬すぎる生地を回すと、ずっしり重い本体がつられて揺れる。当然壊れると困るので「こりゃまずい」と焦ったのだが、いつしか「働きすぎか、ごめんごめん」とすまなく思う具合に、単なるミキサーはいつしかアシスタント的な存在へ変わっていった。
いつだったか、ソニーのaiboをロボット犬とわかりながらも、飼っているうちに本当のペットのように強い愛情が育まれる様を描いたドキュメンタリーを観てとても興味深かったのだけど、その時は自分にはちょっとない感覚だなと眺めていた。もちろんaiboはペットとして可愛がられるように作られているのだし、単なるミキサーと並べて語れないのはわかっている。さすがに私も名前をつけたり話しかけたりなどはしない。とはいえ長年使っていることからのただの慣れとも少し違うのだ。きっと自分の車を愛車と呼ぶ人の感覚に近いのかもしれない。ならば愛ミキサー。自分の足代わりになるのが車ならミキサーは私の手なのだろうか。
そして年半前、電圧が違うドイツへの引っ越し。一瞬ためらったが結局は一緒に持ってきた。よく考えたら日本、アメリカ、ドイツとあちこち移動しながら、一度の故障もない。
ところで、あれこれと仕事の話をしておいて恐縮ですが、ここに住んでからというものの、まずはドイツ語の勉強、そして母さん業の毎日で、仕事はポーズボタンが押されたままになっている。つまりミキサー動かすもおやつの生地をほんの少しがせいぜいなのだ。
そして今、世の中は誰も予想もしなかった状況が続いている。腰が重い私だけど、だからこそ小さな作品でも試そう、試すべきだと思う。となればやはりミキサーにも張り切ってもらわねば。出番が来たらここはグイーンと、思いっきり回ってもらいましょうか。

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レシピの掲載されたマニュアル。英語かと思いきや裏にすればスペイン語

レシピの掲載されたマニュアル。英語かと思いきや裏にすればスペイン語


シェリン
美術家 東京生まれ ドイツ シュトゥットガルト在住
武蔵野美術短期大学専攻科グラフィックデザイン修了
お菓子の家、大量のケーキ、砂糖でできた風景、青い髪、点滅する水などミクストメディアのインスタレーションや、モノカラーのフルコースを特殊な場で体験してもらうプロジェクトその他を、国内外で発表。また、自分の唇のグミを作る、青い食べ物のパーティーなど、ワークショップなど多数。
京都には2011京都芸術センターにてグループ展に参加、こどもたちと砂糖のタワーを作るワークショップを行いました。
一方で広告、イベントなどで視覚的なお菓子を製作。食べておいしいお菓子教室も。

http://www.manuera.com/?menu=artists&name=%E8%AC%9D%E7%90%B3
http://www.manuera.com/chelin/
個人の作品サイトは構想中ですのでしばらくお待ち下さい