アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#116

矢印とネクタイ
― 丹下紘希

(2022.08.05公開)

自分が自分であるための道具。

僕はネクタイが結べません。死ぬまで結べないでいようと思っています。

首を絞めるのは恐ろしいのです。自分で自分の首を絞めるなんて考えただけでも恐ろしいのです。

ネクタイを結んだ後のこともなんだか怖いのです。

格式や形式に合わせるだけで立派だったり、素敵に見えてしまうわたしたち。

私たちの社会は、その形式や格式によって失うものがたくさんあるのではないかと思うのです。

使わないと決めている道具ですが、人間社会でやっていくには便利なのだとわかってはいます。でもたったそれだけ他人と合わせればいい、「たったそれだけ」に抵抗したいのです。

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僕は結べないので、他の人にお願いして輪っかになった物を既に作って置いてあります。できるだけ蝶ネクタイでいけるならそうしていますが、葬儀だけはそうもいきません。

わたしたちは死を前にどれだけ自由でいられるのでしょうか。

元首相が殺されて、困惑し、分かってはいても命の重さがあまりに違うことに悔しさを滲ませながら、それでも儀礼そのものが私たちに重くのし掛かります。

彼の死に限ったことではありませんが、立派な死を求めるのは、死んだ人ではなくこの社会の中で生きている人間たちです。その人間たちが死をただの死ではなく名誉や栄誉の添加物まみれみたいにして私たちに服従を迫る時、それでも僕は輪っかになったネクタイを首にかけるのだろうかと悩むのです。

自分の首が(理不尽な)社会への服従を象徴するネクタイによって締め上がっていき、だんだんと息ができなくなることを想像するのです。

私たちの多数決民主主義は、困っていない多数派の中にいれば安心だと思いこませていて、自分が少数派で困った時にはどうしたらいいかわからない不安が強くあります。

右でも左でも上でも下でもない自分そのものでいられる成熟した社会に生きたい。

そのための道具として、矢印をそっと心に持つ。

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僕は「投票所はあっち」というプロジェクトを仲間たちと2016年に始めました。

メッセージが書かれた矢印を持って選挙があることを伝える風景になること、そしてこれから作る未来に参加する権利があることを伝えるメディアに自分自身がなっていくプロジェクトです。

矢印はどっちに行ったらいいか、方向を指し示しますが、矢印の示した方向が正解かどうかはわかりません。他の人の矢印も見ながら、疑い、考える。それでも自分の心の中に矢印を持つことで僕はやはりホッとするのです。

誰かを馬鹿にしたり、誰かから馬鹿にされたりしないで、自分たちの問題を自分たちで解決できる力があると心の底から信じられるようにしたいのです。

僕はかつて映像ディレクターという仕事を長年やっていました。

ディレクターとはディレクション(方向)を指し示す人という意味です。

まるで矢印で方向を指し示すような仕事です。

ディレクターには「こっちだ」と道を示す権限があり、周りはそれに従う特権的な側面を持つ仕事でした。

しかしその特権は威圧に利用できたり悪影響を及ぼすことも多く、モヤモヤすることがありました。

「民主」という制度は、全ての民に主権があることです。しかし、同時にわたしたちは全ての民が主権を主張し始めたら混乱するのではないか、全ての人が勝手にそれぞれの主張をしてまとまらなくなることを極度に恐れています。

確かに全ての人がディレクターになったら現場は混乱します。それは全ての人に特権があるからです。しかし、主権は特権ではありません。全ての人が主体的になったら現場は輝きを増すはずです。

つまり、特権と主権を分けて考え、全ての人が主体になることこそが「民主」という考え方に近づくのだと思っています。

そして、主体として生きるということは、世の中を自分問題として捉えていくことです。

選挙があろうがなかろうが、普段から社会問題を自分問題として関わり解決する必要があって、仲間で集まり、小さな単位で相談を繰り返し、世に問うていくようなことも表現であり、芸術行為だと確信するようになりました。

全ての人が主体的に「あっちだ」「こっちだ」「どっちだ?」と矢印を持って方向を指し示した時に立ち上がってくる風景が見てみたいです。

全ての人が、手の中の矢印を握りしめて光らせ、生きて、生きて、生きて、イキイキとはみ出しまくって、新しいルールがそこにもここにも立ち上がって、希望を感じながら、自由のその解き放たれた姿を、矢印のある風景をいつかこの目で見てみたいと思うのです。

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丹下紘希(たんげ・こうき)

映像作家/葡萄農家見習い
亀岡市の無農薬葡萄農園で見習い中。
かつては音楽映像業界にいたが、原発事故を経て、広告の罪深さに悶絶する。
差別などの理不尽、自然の破壊や暴力、戦争のない、ちょうどいい人間を目指す。
2005年、イラク戦争に反対し、反戦動画広告、SSTVの「 We Love Music, We Love Peace.」を作る。
2012年、視点を変えて生きていく社会芸術運動「 NOddIN」創設メンバー。「戦争のつくりかたアニメーションプロジェクト」「投票所はあっちプロジェクト」発起人。
政治のハードルを下げるラジオ「ラジオクライニ」レギュラー。表現の不自由を憂うる京都アピールの会メンバー。
主婦であったり、「タンタン」と呼ばれる元PTA会長、架空の政党「自由無人党」党員、全石解放連盟、市民哲学対話のだれかとはひふへほの会、など、自分の立ち位置を変えることで世の中のおかしさを見つめる。
「私たちという傍観記録」「あなたを心配する手紙」「騙されない機能付きテレビ真実一号」「概念ガチャ-お金とは何か?」 など。