アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#94

ピンセットと歯ブラシ
― 新宅勇太

(2020.10.05公開)

写真1

私が作っているもの、それは骨格標本である。この「手のひらのデザイン」の中では明らかに異色である。少なくとも創作性とはあまり縁がない。私は愛知県犬山市にある公益財団法人日本モンキーセンター(以下JMC)というところに勤務している。世界でもめずらしい、サルの仲間「霊長類」専門の博物館である。動物園も設置していて、約60種類830頭の霊長類を展示している。この数は世界屈指の規模である。とはいえ私は飼育員ではない。学芸員(JMCではキュレーターと呼称)として、霊長類の研究を主軸に、博物館資料を使った展示作り、レクチャー、出版などに携わっている。いろいろある私の仕事の1つが、標本づくりである。

当たり前であるが、動物園で飼育する動物も必ず死亡する。死後、獣医師によって解剖がおこなわれ、死因が調べられる。JMCではその遺体からさまざまな標本を作製し、保管している。全身の骨格、臓器のホルマリン固定標本、なめした毛皮などである。骨格標本4400点を筆頭に、その総数は13000点を超える。60年を超えるJMCの歴史の中で、歴代の獣医師と研究者が作り、残してきた。

骨格標本の収蔵室。天井近くまである箱1つ1つに、それぞれ1頭分の骨格標本が収められている

骨格標本の収蔵室。天井近くまである箱1つ1つに、それぞれ1頭分の骨格標本が収められている

骨格標本の作り方にはいろいろあるが、私は遺体を水につけ、筋肉部分を腐らせて作っている。野菜用のネットに遺体を入れて水につける。そしてそのまま2か月から3か月、頃合いを見て引き上げ、骨を洗う。冒頭のピンセットと歯ブラシはその時に使うものだ。全身で220個から240個ほど、指や尻尾の先の小さな骨まで残す。マーモセットという手のひらに乗るくらいの大きさの種類になると指先の骨は米粒大、それをすべて拾うのはまさしく「骨の折れる」作業である。さらに中性洗剤を薄めた水に浸して骨格から脂抜きをし、衣類用の漂白剤を使って軽く漂白し、乾燥させれば完成である。水につけてから数か月、結構時間のかかる作業だ。ほとんどの道具はホームセンターで買えるものばかり。大量に使うから手軽に買えるものがいい。ほかにも小さな骨がバラバラにならないように排水溝ネットやお茶パック、骨を箱にしまうときにつかうチャック付きのビニール袋も必需品である。

動物園の非公開エリアの一番奥、標本づくりの作業部屋はなかなかの悪臭が充満する。鼻はすぐ慣れるので作業中はさほど気にはならないが、全身に染み付くにおいは困りもの。何度シャワーを浴びても匂いはしばらく残ってしまう。だから作業が終われば同僚の迷惑にならないよう、デスクには戻らずさっさと職場から退散することにしている。他にも作り方はいくつかあるのだが、いろいろな制約で腐らせるという(多少周囲の迷惑かもしれない)方法で標本を作っている。

完成したヤクシマザル(屋久島にすむニホンザルを特にこう呼ぶ)の骨格標本

完成したヤクシマザル(屋久島にすむニホンザルを特にこう呼ぶ)の骨格標本

しかし標本づくりはこれがゴールではない。標本は使ってこそ価値をもつ。標本を作ってようやくスタートラインに立てたのだ。使われないまま標本庫にしまわれているだけであればそれは宝の持ち腐れ。使って「新しい発見」をすることこそが標本の「真の価値」を引き出すことである。博物館は発見の場、でなくてはならない。

動物園での展示やレクチャーで使うことがある。「百聞は一見に如かず」ということわざもあるように、話を聞くだけよりも実際にモノを見た方が理解しやすい。食べ物と歯の形の関係は生きている動物だけ見ていてもよく分からないし、動物の体の動かし方はその軸となる骨格を理解するとより分かりやすくなる。子どもから大人まで、博物館で標本から発見できることはたくさんある。

標本は研究者が使うこともある。毎年国内外からさまざまな研究者がきてはおもしろい研究を進めている。あるアメリカの研究者は「このサルの手の指が見たい」といって仕事をしていった。なかなかマニアックである。たしかに、頭骨や歯はともかく、野生動物の全身の骨を入手することはそう簡単ではない。また、動物園の飼育個体には正確な年齢など野生個体では分からない情報もある。動物園で飼育している個体から作成する標本は、貴重な研究資源である。

かくいう私自身、骨を材料に研究をしている人間だ。次から次に棚から標本箱を取り出し、目的の骨を見ていく。私の場合はデジタルカメラで撮影するところまでが標本室での仕事だ。データだけ持ち帰り、後からコンピューター上でその画像から形の特徴を数字にして取り出し、分析している。ネズミの研究をしていた時は、それこそ昼食もとらずに朝から夕方まで標本室にこもり、ひたすら標本を撮影した。その数1日で100個体分以上。たくさんの標本を見続けたからこその発見もあった。今の職場でもヤクシマザルの標本箱を片っ端から開けては写真を撮った。今そのデータは分析の真っ最中である。

ロンドン自然史博物館での標本調査。小さなネズミの頭骨を撮影しているところ。(2010年撮影)

ロンドン自然史博物館での標本調査。小さなネズミの頭骨を撮影しているところ(2010年撮影)

JMCにくる博物館実習生(学芸員となる資格取得に必要な実習のために来る大学生)に毎回かけている言葉がある。「いつか、誰かが、何かのために使うかもしれないから資料を作って保存している」。こう言われると、「それは何にも使わないのと同じだ」という人もいるだろう。あまりにも不確実すぎて、合理的な思想とは言えなさそうである。しかし資料を使うのは「今の時代の人」だけではない。博物館は未来の人のための施設でもある。実際、私はロンドン自然史博物館で100年以上前、1900年前後に収集された標本を使って研究したこともある。100年前の標本だろうが、状態さえよければ新しい発見を引き出すことは可能である。10年後、50年後、100年後、技術の発展によりまったく新しい研究、新しい発見ができるようになるだろう。ならば今の私にできることはなにか。できる限り多くの資料をできるだけいい状態で残すこと、これに尽きる。いい状態で多くの資料が残っていれば何かできるはずである。未来の人の利用可能性を今の時代の人間が閉ざすわけにはいかない。「いつか誰かが、できればより多くの人が使ってくれる」ことを願いながら、標本を作っている。


新宅勇太(しんたく・ゆうた)

1984年千葉県生まれ。公益財団法人日本モンキーセンター・キュレーター、京都大学霊長類研究所・特定研究員。博士(理学)。専門は哺乳類の系統分類学で、骨格など動物の「形」をおもな材料として研究している。最近はアフリカ・コンゴ民主共和国で大型類人猿ボノボのフィールド調査にも加わっている。2019年3月に新たな装丁で発刊された『新装版・標本の本 京都大学総合博物館の収蔵室から』(村松美賀子・伊藤存 著、青幻舎ビジュアル文庫シリーズ)では、まだ京都大学大学院の学生時代に収蔵室やフィールドワークの案内役として関わった。
日本モンキーセンターHPhttps://www.j-monkey.jp/