アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#130

父の手鏡と記憶
― 頭山ゆう紀

(2023.10.05公開)

時間や気配、何か生と死の狭間のような目に見えないものを意識して、私は長い間生活の中で写真を撮り作品を作っている。

《Scenes of Absence》2023

《Scenes of Absence》2023

コロナ禍が始まってから家族のことでなんだかずっと忙しい。
2021年には在宅介護をしていた父方の祖母が亡くなり、母方の祖母は老人ホームで亡くなった。介護生活から解放され、自由に過ごし始めた頃に母が急死し、父にパーキンソン病と重度の心疾患が見つかった。
突然バタバタと家族が立て続けに居なくなって、姉家族を除くと血縁は父だけになってしまった。

父は昨年末から心臓病とパーキンソン病の検査入院が続き、ついに8月に心臓の手術が受けられることになった。
大動脈弁閉鎖不全症の重症で、手術は3時間半ほどかかり、医者から手術は無事問題なく終えたと説明があった。
今まで身近に手術をした人がいなかったもので、ドラマで観るような、ベッドで移動しながら手を握りがんばれ! と言い手術室に入っていったり、ガラス戸の外からICUの中を見守るなんてイメージとも全く違った。
2階エレベーター前に突然広がる家族ラウンジの隅に小さなドアがあり、一家族ずつ看護師に呼ばれて入ると暗い廊下が続き、突き当たったところで手を洗い横のICUへの小さなドアを入る。

翌日に目を覚ました父は今自分がどこにいるのかを理解していない。喉に入っていた管の影響で声が変になり、悪夢を永遠に見続けているといった話をするが、呂律が回っていないし、まだ夢と現実の区別がついていないようだった。
ICUで1週間ほど過ごし、一般病棟に移動したものの、父は時間の立体感が掴めず入院前より随分とぼんやりとしてしまった。

いつもは父と一緒に30分ほどタクシーに乗って病院まで来ていたが、片道4000円! もかかるので動ける私にそんなお金は出せない。
毎日電車を乗り継ぎ、駅から旧陸軍の掩体壕を横目に眺め、田舎道を15分ほど歩き病院へと向かう。今は私が最も苦手とする真夏だった。

何も物を持ち込めないICUとは違い、一般病棟では大好きなジャズや落語がCDデッキで聴けるようになり、幾分か意識がはっきりしてきたように思えた。
髭も伸びたし、傷がどうなっているのか気になるというので、現実を受け止めたらいいんじゃない? と冗談混じりに家から手鏡を持ってこようと提案した。

父と母は私が18歳の時に離婚をしていて、実家は母が住むことになり、実家近くにマンション暮らしをしていた父は、祖母が年老いて1人暮らしになったのをきっかけに、今から5年ほど前に祖母の家に引っ越していた。

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祖母の家の中で手鏡を探していると、父の寝室から何やらものすごく懐かしい、存在すら忘れていた手鏡が出てきた。
それはまだ母と離婚をしていない頃の実家の父の部屋にあった手鏡だ。
当時の父の部屋は、くすんだ緑とベージュと赤い縞のソファや、ガラス板の小さなテーブル、レコードプレイヤーやジャズのレコードがたくさん並ぶ趣味で溢れた部屋だった。
父が仕事で居ない間に3つ上の姉とその部屋のソファで良く飛び跳ねて遊び、手鏡でも遊んだ記憶が脳裏を過る。

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手鏡は開くと丸と四角の2つの鏡がついていて、確か片方が拡大鏡だったが、今は四角い鏡のみ残っている。
鼈甲柄のような不思議な色合いとプラスチックの手触りが、当時の父の部屋のおじさん臭い匂いやソファのバネの音、窓ガラスの凸凹の手触り、姉と過ごした当たり前で特別な時間を一瞬で甦らせた。
一般的にはどうかわからないが、私の昔の記憶の映像(写真)は少し広角(28mmレンズくらい)でだいたい私が居る。
それは両親の撮った幼い私が写っている写真が脳内で合成されたイメージかもしれないが、かなり客観的な絵面だ。

膨大な記憶は、脳内のどこかに立体的に浮遊して、仕舞われているように感じている。
父の手鏡を見た瞬間に開かれた記憶の粒子は、私の写真作品と繋がっているのではないだろうか。
単純に目の前のイメージを切り取るだけではなく、今までの時間の連なりやその時の匂い、感じた空気、感触、色、気配を束ねて風景に重ねる。
生き続ける喪失や記憶は写真として目の前に現れる。
活発に動く父や、母はもういない。
不安を抱いて病院に歩いた真夏の日差しと風景が、また記憶と重なって写真となって続いていくのだろう。

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頭山ゆう紀(とうやま・ゆうき)

1983年千葉県生まれ。東京ビジュアルアーツ写真学科卒業。
生と死、時間や気配など目に見えないものを写真に捉える。自室の暗室でプリント作業をし、時間をかけて写真と向き合うことで時間の束や空気の粒子を立体的に表現する。
主な出版物に『境界線13』(赤々舎 2008)、『さすらい』(abp 2008)、『THE HINOKI Yuhki Touyama 2016-2017』(THE HINOKI 2017)、『超国家主義-煩悶する青年とナショナリズム』(中島岳志 著、頭山ゆう紀 写真/筑摩書房 2018)がある。

https://yuhkitouyama.com/news_japanese