(2022.05.05公開)
「愛用の道具」についてなにか書きませんか? という依頼を受けて、一旦は喜んで引き受けてみたものの、よく考えてはたと困ってしまった。
そもそもものにこだわりが強い方ではない。普段はむしろ「ものにこだわるなんてのは執着だ、煩悩だ」などと考えている節がある。美術作家を名乗っておきながら、ものづくりを否定するような物言いをするのはけしからんと思われるかもしれないが、一生懸命考えてきてそうなってしまったのだから仕方がない。ものは少ない方が好い、わたしはそういう風に考えている。
これまで「サイト・スペシフィック」と呼ばれる方法で作品を制作してきて、作品のアイデアも材料も、現地で見つけることが当たり前だと考えてきた。道具がなければ別のもので工夫する。材料がなければ他のもので代用する。
ジョージアでは「世界最古のワインが作られた」という話を聴き、見れば首都トビリシのど真ん中にさえ葡萄が豊かに実っているから、現地の大学生とこれを収穫して、農家に滞在してワインを作った。
タイのチェンマイでは「人々は水曜日に爪を切らない」と云うから、じゃあ実際に、水曜日に人々は何をしているのか、ということで人々から水曜日の写真を募集して、展覧会を行った。
京都では「漆は高級品である」と云うことがわかったから、年間を通して「漆掻き」の作業を取材して、収穫後に切り倒されるウルシの木に漆を塗って、これを作品にしようとしている。
そういった訳で。どうやらわたしは現場でアイデアを見つけることに、そして必要をその場で調達することに、創作の醍醐味さえを感じている。
――しかし一体なぜだろう?
あまり意識したことはなかったけれど、この場をお借りして書き出してみるのも面白いかもしれない。
◉
1990年代後半、20代のわたしはバックパッカーをしていた。「学ぶ間を惜しんで遊ぶ」ことを人生の指針としていたその頃のわたしは、バイトでお金を貯めては、せっせと東南アジアへと出かけていった。
とは言ったところで、実際なにをするわけでもない。メールもケータイもない時代。円をバーツやルピーに変えて、それらが尽きるまで知らない土地を旅して回る。やらなければならないことなんてなにもない。大学の課題も単位も責任も放り出して、山を見て河を見て町を見て人を見て、野犬に追いかけられて豪雨に撃たれて、焚き火を囲んで知らない部族の踊りに交じって、果てしない空と大地とバスの時刻表の間で清貧の喜びに遊んでいた。
バックパックを背負って町から町へと移動するには、まずは身軽でなければならない。背中に担いだ荷物の中には……着替え、毛布、カメラ、アーミーナイフ、石鹸、ガイドブック、スケッチブック、ペン、水筒、コップ、歯ブラシ、スプーン、切り傷に塗る軟膏、虫除け、痒み止め、痛み止め、芯を抜いて潰したトイレットペーパー、案外役立つジップ・ロック、ドライフルーツとビスケット、暇潰しの本、それからどこかで荷物に紛れ込んだ、誰に渡すとも知れないガラクタのようなお土産……つまり大したものは入っていない。ただ生活に必要なものか、あるいは旅のどこかの瞬間で、ふと愛おしくなったものばかりである。
インターネットのなかった時代、貧乏旅行をするバックパッカーたちにとっては、どこの町が面白いのか、というのが最大の関心ごとであった。旅先のゲストハウスには大抵テラスかロビー、あるいは食堂のような、他者と情報交換をするような場所があって、そこでたまたま出会った人たちの話で、わたしの目的地は簡単に変わった。
そしてまた、そういったコミュニケーション・スペースの片隅には、現地のガイドブックなんかに交じって、誰が残していったとも知れない様々な本が置いてあった。わたしはそうした旅先の本棚に、自分が読み終えた本を並べて、代わりに「次の本棚」まで気に入った一冊を拝借してゆくということを習慣としていた。異なる言語で記されているそれらの本が、どうやって集まってきたのか実際には知らない。しかしわたしは漠然と、そうした本は旅の宿をぐるぐると回っているものに違いないと考えていた。
なにかひとつのものを手に入れるたびに、なにかひとつのものを手放すというのは、わたしがバックパックの旅から学んだことだった。そもそもバックパックには許容量がある。そして、いくらものを詰め込んでみたところで、背負って歩ける重さにも体力的な限界がある。手持ちの荷物がふたつやみっつになることなんて考えられない。貧乏旅行ではなにかの拍子に、走って逃げなければならないこともあるかもしれない。あるいは気が回らない大きな荷物の隅っこから、何かをスられてしまうかもしれない。ものは少ない方が好い。「担いで歩ける程度の人生」それがわたしの美学になった。
◉
そうした生き方の延長線で、結局10年以上「アーティスト・イン・レジデンス」を渡り歩くことになった。バックパックはやがて大型のスーツケースに変わったが、現実は相変わらず等身大でしか起こらない。わたしは旅先で出会った情報から、そして体験した出来事から、世界のあり様を想像する。別の言い方をするならば、わたしの「世界」は今までに誰かと、そして何かと交換してきたものによって構築されている。
2年以上にも渡るコロナ禍の影響で、わたしの旅行鞄の中身はすっかり空になってしまった。否、わたしの荷物の中身が、わたしが取捨選択してきたものであるとするならば、現在そこには、ふんだんに「交換してきた空白」が詰まっているのである。
そうしてみると、わたしの「愛用の道具」は、できるだけ空白である方がよい。そうである方が「軽くて使いやすい」。世界的なパンデミックの動向にようやく落ち着きが見え始めて、もうしばらくもしないうちに、わたしはわたしの仕事に戻れるだろう。そんな日々に期待を込めて……わたしは「愛用の道具」を開けてみる。空のスーツケースからはふわりと、白檀の香りが立ち上がった。
石井 潤一郎(いしい・じゅんいちろう)
美術作家。1975年福岡生まれ。2004年よりアジアから中東、ヨーロッパを中心に、20カ国以上でサイトスペシフィックアートを制作・発表。国際展「4th / 5th TashkentAle(ウズベキスタン / ’08 / ’10)」「2nd Moscow Biennale for Young Art(ロシア ’10)」「ARTISTERIUM IV / VI(グルジア / ’11 / ’13)」「Larnaca Biennale(キプロス ’21)」参加他、個展、グループ展多数。2020年京都芸術大学 大学院 グローバルゼミ修了。ICA京都 レジデンシーズ・コーディネーター / KIKA gallery プログラム・マネージャー。