アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#138

白い絵皿
― カルドネル佐枝

(2024.06.05公開)

日本画を描いていた頃、手のひらの上にはいつも白い絵皿があった。
水干絵具を指で潰したり膠で溶かしたり、胡粉を練ったり叩いたり、膠の匂いや岩絵具が礬水液の効果で麻紙の画面にざらっと吸い付く感触が好きで絵を描いていた。対象は日本の木と土と紙のものではなく、ヨーロッパの堅固な石造の建築で、石の文化と対峙するように学生時代からユーラシア大陸の東西を幾度も往復しスケッチに励んだ。

梅皿

梅皿

鹿膠と岩絵具

鹿膠と岩絵具

子供が生まれたタイミングで、家内安全のためにいつしか白い絵皿は岩絵具や他の画材とともに引き出しの中にしまわれ、家族旅行で美術館やアートフェスティバルを訪れる機会が多くなった。内向きの孤独な制作の世界から外向きの発見の時期に入った。表現の手段は描画から写真や映像となり、プロデュースやマネジメントも含め様々な分野に興味が生まれた。そして子どもの成長とともに、出産育児であまり動けなかった時期を取り戻すべく、アートフェスティバル、ギャラリー、アーティスト・イン・レジデンスなどでの仕事を貪欲に短期間で複数同時に勤めた。さらに大学卒業後から非常勤で関西圏のいくつかの高等学校の美術教師を25年間、子供達が就学していた京都のフランス人学校の理事を15年続けていたのでピーク時には名刺を4-5種類持っており、何者だと周囲の笑いを買った。長年に渡り日仏の教育現場を見てきたが、日本ではあまり現代美術の観客がいない、アートメディエーションがまだ機能していない気がして、作家、教育者以外のあらゆるアプローチからアート業界に携わりたい気持ちが強くなっていった。―なぜ学校から子供達を連れて美術館やアートフェスティバルに鑑賞に出かけないのか、教室では子供達にものづくりばかり教えていないか、クラス全員の子供たちをアーティストに育てる必要はないのではないか、制作が好きな子は放っておいても自分で工夫して作品を作る、無知な大人が介入すると彼らの才能の芽を摘むことも起こりうる、自然や社会に敏感な作り手が作品を発信し、鑑賞者がそれを受け止め共感し、思考が巡り、対話がなされる、この現象全体が芸術活動だとして現代社会の課題の改善につながることであるなら、私たちの社会にはまだ鑑賞者は足りていない、今後より多くの鑑賞者を育てる必要がある、子供達に作品を見る面白さ、読み解く興奮を体験させるべきである…… ―というような疑問や思いが常に頭の中を巡っていた。

2018年には文化イベントの企画運営事務所を立ち上げ、以来、自分の作品でなく他の誰かの作品を見せることでこの世の中に対する思いを伝えることが日々の活動になっている。
そして美術館やギャラリーなど限定された場所で一部の層だけで作品を鑑賞するのではなく、作り手のメッセージをできるだけ多くの人々に届けるには公共空間に作品を置くことが重要であると考えている。
振り返れば、前世紀には、身近だった我が道具“白い絵皿”の中を出発点に様々な色や形を描いて人々に自分の思いをどのように伝えようかと思案していた。今は頭の中に浮かぶ文化イベントのアイディアを実現するのに、端末の“新規作成”の真っ白な画面がかつての道具の代わりとなり、協賛企業や会場の管轄部署の人々をどのように説得しようかと考えながら、専らそれと向き合っている。

新規作成2

さて、京都に1年のうちで私が最も時間とエネルギーを注ぐ「ニュイ・ブランシュKYOTO」という現代アートの祭典がある。2011年から京都市内各所で開催されていて京都市と関西日仏学館が主催をしている。“ニュイ・ブランシュ”はフランス語で“白夜”や“徹夜”という意味で、秋の夜長に文化施設が夜間無料オープンすることによって普段芸術に親しみのない層が気軽に鑑賞できる機会を与えるパリ発祥のイベントである。2019年からこのイベントのプロデューサーとコーディネーターをしており、運営をはじめ、独自のプロジェクトを提案したり、企業の協賛を募ったりしている。このイベントの中で2020年から毎年続けているプロジェクトがある。「川俣正 夢浮橋ワーク・イン・プログレス」である。

私がフランス留学から戻った1998年に京都鴨川の四条と三条の間で日仏友好の橋の建設プロジェクトがあったが、地元の反対で白紙に戻ったエピソードがある。その出来事が印象に残っていて、その後フランスの美術家クリストとジャンヌ=クロードの活動を見聞きしたり、ディレクションを担当していた京都の写真フェスティバルの参加アーティストである荻野NAO之氏と賀茂川漁業協同組合との鴨川での展示を経験するうちに、人々の憩いの場である鴨川に定期的に様々なアーティストによって短期間出現するアートの橋のプロジェクト「カモガワ・ランデブー」を思いついた。この「カモガワ・ランデブー」の第1弾「川俣正 夢浮橋ワーク・イン・プログレス」では、嵯峨美術短期大学の准教授である岩﨑陽子氏をキュレーターに迎え、パリを拠点に世界中で活躍する美術家の川俣正氏の橋の作品を鴨川に展示するというものである。2020年には模型の展示 (京都芸術センター)、2021年に作品の橋脚部分を1/1スケールで屋外展示 (香老舗 松栄堂 烏丸通駐車場)、2022年には作品の橋桁部分を1/1スケールで屋外展示(京都市京セラ美術館 京セラスクエア)、2023年には文化庁移転、京都市立芸術大学、京都市立美術工芸高等学校の移転記念に実際に「夢浮橋」の橋脚部分を鴨川河岸に設置(七条大橋南側)、とワークショップやシンポジウムも同時に開催しながら、プロジェクトを進めてきた。

2023年に開催した七条大橋南の現地には高層の市営住宅が2棟聳え立っており、南側は無人で北側には何世帯かが居住している状況である。いずれは取り壊されるであろうこれらの建物の間から京都タワーが見え、河岸には川俣氏の橋のインスタレーション作品が佇むという風景を記録写真を通して歴史に残すことを意識した。京都市立芸術大学の移転により、同和地区として京都という都市の歴史の一部であった崇仁地区が現在向き合うジェントリフィケーションについて、60年代に工作物として建設された京都タワーの今は風化しつつある景観論争について、作品を鑑賞しながら考える機会となることを期待している。開催前の地元の説明会では地域の人々はプロジェクトを暖かく迎え入れてくれ、通行人の安全管理が勿論最優先だが、プロジェクトの意図を大いに尊重してくれた。街のアートゾーンとして地域が生まれ変わる誇りと覚悟を感じた。近い将来この橋の完成形を鴨川で展示できること、そしてこのプロジェクトが定着し、国内外から定期的にアーティストを招聘して共感と交流が繰り広げられることを心待ちにしている。


カルドネル佐枝(かるどねる・さえ)

1970年大阪生まれ
1994年京都教育大学 教育学部 特修美術学科 日本画専攻 卒業
在学中から絵の題材を求めて何度か渡欧し、日本画の画材を用いたヨーロッパの風景画で「青垣日本画展」「全関西美術展」「日春展」「京展」に入選。同大学研究生を経て京都と奈良を中心に個展やグループ展を開催。近年は写真と日本画の技術を組み合わせた作品を制作。

1997-98年のフランス留学で“西洋的コミュニケーション”が苦手で引きこもる現地日本人を複数目の当たりにし2007-08年、フィリップ・アダム、グザヴィエ・ブリヤをはじめ元ヴィラ九条山レジデントらの協力を得てパリ症候群をテーマにした映画『パリ・シンドローム』を制作する。2009年には同作品がブリュッセル女性映画祭に招待され2010年 パリ日本文化会館にて上映会とシンポジウム、以来日仏両国各地のアンスティチュ・フランセや大学など教育文化機関で上映会が開催される。他、京都ロケとなった2011年マルク・プティジャン『人間国宝』、2013年 辻仁成『醒めながら見る夢』の映画制作に協力。

2018年にMUZ ART PRODUCEを設立し、現在はアートプロデューサーとして多数のアートイベントを手がける。

2012-14 KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭 実行委員
2014-20 KG+共同ディレクター
2019- 現代アートの祭典 「ニュイ・ブランシュKYOTO」 プロデューサー・コーディネーター(国内外のギャラリーや国公立美術館と協働)
2020- カモガワ・ランデブー「川俣正 夢浮橋ワーク・イン・プログレス」、 学生アートマーケット 「ARTAOTA」、 シニア世代の写真・映像芸術プロジェクト 「FOTOZOFIO」企画運営、「京都文学レジデンシー」共同プロデュース
2021- 女性アーティストの展覧会 「Red Line」企画運営
2022- 京都府や滋賀県の文化事業に携わる
2024- 森記念製造技術研究財団 地域・文化支援事業 委託研究員として奈良でアートプロジェクトを展開

など、その他多数のプロジェクトに参画。

https://muz-art.jp/