アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#106

暗室が照らす記憶
― 堀井ヒロツグ

(2021.11.05公開)

写真1
フィルムカメラを使う最後の世代だと言われてきた。

現在でも、作品を制作する際はカラーフィルムを使っている。ネガフィルム特有のトーンが好きだということもあるが、10年という時間をかけて同じ被写体を撮り続けることがあるため、「ローライフレックスとコダックのポートラ400」という同じ組み合わせのまま撮り続けられることが、何かを見つめるときのひとつの物差しになってきた。
撮影の仕事でデジタルカメラを用いることもあるけれど、両者は同じ写真というメディアを扱いながらも、制作のなかで育まれる思考がだいぶ違うように感じられる。それらを大きく隔てているものは、おそらく「暗室」の存在だ。

「暗室」と聞くと、赤いライトの点いた薄暗い部屋に洗濯バサミで写真が何枚も吊るされた光景を想像されるかもしれない。ただし、セーフライトと呼ばれるあの灯りはモノクロプリントの際に使われる安全光だ。カラープリントの場合、ほんのわずかな明るさでも印画紙が感光してしまうため、「全暗」で行われる。文字通り、そこには一切の光がない。

光のない状態でどうやって作業できるのだろうと、最初のうちは途方に暮れた。暗室には、ネガフィルムの透過光を印画紙に焼き付けるための「引き伸ばし機」と、露光された印画紙を薬品処理するための「プロセッサー」があり、真っ暗な空間の中でこれらふたつの機械のあいだを何度も行き来しなければならない。
自分の姿が見えない状態が長く続くと、徐々に身体感覚が希薄になって、身体の境界が周囲に溶けるような感覚に浸されていく。その代わりに意識が強調され、モノローグをまとった存在として幽霊のようにふらふらと彷徨っては、壁や机にぶつかりそうになってようやく輪郭を取り戻す。

それでも暗室に身が馴染んでいくうちに、いつのまにか闇に囲まれていることに安らぎを覚えてくるから不思議だ。すごく妙な感覚だけれど、その状態に入っていくにしたがって、自分に付属していたあらゆるラベルが剥がれ落ちていく思いがするのだ。肩書きがあること。性別があること。名前があること。それらが闇のなかでは無効化されて、ただ声のありようだけが残る。
人という存在は地層のようだと思う。声の深みにも声が潜んでいて、表情の奥にも表情がある。写真は時々、意図せずそこに到達してしまうことがある。いつかこの身体という容れ物を脱ぎ去って魂だけの存在になったら、自分はどんな顔をしているのだろう。そして、そのような場所で、近しい友人たちの存在を互いに見分けることができるだろうか。

いつだったか夢の中で、「人は前世で住んでいた惑星と同じかたちの瞳を持って生まれてくる。だから目を見て親しみを感じる相手は、同じ星からやってきたんだよ」と教えてもらったことがある。それが本当かどうかはわからないけれど、そのイメージはずっと頭の片隅にあって、今でも誰かと対面した時には瞳や瞳孔にじっと見入ってしまうことがある。

写真2

暗室に入ることは小さな臨死体験にも似ていて、ここではない、どこか遠いところにいるように感じる。それは、今ここから見えていることの「外側」を思い出すことの遠さだ。時折、かつて覚えていたはずのことを忘れてしまった世界に生きているんじゃないかと思うことがある。意識を向けた途端に立ち消えてしてしまうほどそれは繊細で、そしてその遠さに目を向けていたことさえ、たちまち霧散してしまう。写真のような視覚イメージがふいに垣間見せるのは、そのような遠い記憶だ。

薄い皮膜のようなネガフィルムを人差し指と親指でやさしくつまみ、ネガキャリアにセットする。印画紙にイメージを露光するその数秒間だけ、暗闇の中に橙色の光があらわれる。その静かな眺めはいつも、記憶が想起されるさまを思わせる。ランプが消えたあとも、その光の面影はしばらく瞼の裏に持続し、ゆっくりと時間をかけて闇に沈みこんでいく。そのとき、その残像を目では見ていない。目でないものが照らして、闇をひらいている。

暗室の帰り道によく、考えることがある。目で見ることや耳で聞くことの手がかりがなくなったら、いったい誰のことを識別することができるだろうと。皮膚にさえ触れたことのない人や、表面の表情しか知らない人がたくさんいる。ただ見えていることやただ聞こえていることに寄りかかっている世界認識の仕方とは、案外寄る辺ないものかもしれない。だからこそ、写真と向き合う眼差しの中に立ち止まりたい。同じ人や場所に、何度でも出会い直すことができる。そういった存在の深みに潜っていくことは、あの遠い記憶へと繋がっている気がしてならない。


堀井ヒロツグ(ほりい・ひろつぐ)

静岡県生まれ。早稲田大学芸術学校 空間映像科写真専攻卒業。2013年に東川町国際写真フェスティバル ポートフォリオオーディションでグランプリを受賞。同年、塩竈フォトフェスティバルで特別賞。現在、京都芸術大学 美術工芸学科写真映像コース、通信教育部写真コース非常勤講師。
www.hirotsuguhorii.com