アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

このページをシェア Twitter facebook
#17

ラジオ
― 梅田哲也

(2014.04.05公開)

3才から4才になる誕生日のころ、小児ぜんそくの兄の治療も兼ねて、熊本県は天草郡(現天草市)天草町高浜というところに家族で引っ越しました。おそらく今でもあまり変わりないでしょうが、30年前その辺りは本当になにもない田舎で、海と山と川の他にはなにもない、というと大袈裟ですが、ヤマザワという小さな商店と、みなとやという小さな寿司屋と、3坪くらいの小さなパチンコ屋があったことくらいしか覚えていません。

引っ越して来てまもなく、父がテレビを粗大ゴミに出しました。当時、その辺りでは民間の放送局は2チャンネルしか受信しておらず、父の贔屓にしていた番組がみられないことに腹を立てて、勢いに任せて捨ててしまったのだそうです。そういうわけで、うちにはテレビがありませんでした。なので、僕には小さい頃テレビを見た記憶がほとんどありません。
その代わりにあるのが、毎日ラジオを聞いていた記憶です。受信していたのはNHK FMとFM長崎の2局。高浜は熊本県ですが、熊本市内からは遠く離れているので、長崎から海を渡って飛んで来る電波を受信していました。平日のお昼は幼稚園や学校があり、土日は毎週祖父母の家に通っていたので、記憶にあるのは、平日の夕飯の支度時に放送されていた夕方の番組と、夕食の後、家族でトランプやボードゲームをしながら聞いていた夜の番組でした。なかでもとくに印象に残っているのが、NHK FMで放送していたラジオドラマ「アドベンチャーロード」です。毎回、兄と2人ラジオの前に座り込んで、息をひそめて聴いていた記憶があります。

ラジカセでお昼の歌謡曲番組を録音することも、よくやってました。いわゆるエアチェックというやつです。お気に入りは井上陽水と中島みゆきでしたが、光GENJIがデビューしたとき、その曲に大興奮したことも覚えています。それまでアイドルソングなんて聞いたことがなかったのですが、のちに作詞作曲が飛鳥涼だと知り納得しました。チャゲ&飛鳥もまた、僕のお気に入りのひとつだったのです。当時小学校2年生でした。

その後もラジオは僕の身近なアイテムでありつづけ、見ることのできないテレビ番組の音声だけをラジオで受信して、録音して聞いたりもしてました。中学校に入ると、今度は民放の深夜ラジオに熱中します。その頃は熊本市内に引っ越して、民放のAMが1局受信できるようになっていたのです。いちばん多く聴いたのはやはり「オールナイトニッポン」でしょうか。僕が聴き始めたときMCをつとめていたのは、月:加藤いづみ、火:電気グルーヴ、水:裕木奈江、木:福山雅治、金:ウッチャンナンチャン、土:松任谷由実、でした。その後、裕木奈江が松村邦洋に代わり、福山雅治がナインティナインに代わり、ほとんど毎日、ラジカセを枕元において、眠いのを我慢しながら聴いていた記憶があります。眠るときには続きをカセットに録音して、翌日学校に通う道中で、あるいはときどき学校をさぼって、それをカセットウォークマンで聴いていました。ハガキ職人とよばれる面白いリスナーが送ってきたネタが読まれるときは、笑いをこらえるのが大変で、緩んでしまった顔をごまかすために、よく歯が痛いふりをしました。

音楽番組だと、NHK FMの「ミュージックスクエア」。月曜日の渋谷陽一にはずいぶんロックの名盤を教わりましたし、水曜日の森高千里のさっぱりとしたトークも大好きでした。ノイズミュージックを初めて耳にしたのも「ミュージックスクエア」で、コーネリアスがゲスト出演して暴力温泉芸者をオンエアしたときのことです。ラジオが壊れたかとおもいました。そしてそれを確認するためにCDを買いました。

18才で大阪に住むようになって、田舎から持ってきたラジオが放送をきれいに受信しないことを理由に、僕はあまりラジオを聞かなくなりましたが、ここ数年は、今度はインターネットを通じて、Podcast配信されるラジオを頻繁に聞くようになりました。また、最近は、というかまあ、最近でもないのですが、10年以上前から僕は、作品のなかでよくラジオを使用しています。とくにラジオ電波を。テレビがデジタル放送に取って代わられた今も、やはり電波というのは魅力的なメディア(媒介)のひとつです。だって空気中を飛んでいるのですから。受信さえすれば誰でも聞くことができるわけですから。それも一斉に、それぞれの個人的体験として。鉱石ラジオなんて、もはや電源もいらない。石が電波を受信して音楽が鳴るんですよ。こんなロマンチックなことはありません。

僕が最近、リスニングで愛用しているラジオはSONYのICF-EX5MK2という、1985年からつづく現行機種の名機です。とても感度がよく、持ち運びするには大きいのですが、それもまたいい。ずっしりと構えていて、どこからどうみてもラジオそのものです。作品に使うという言い訳を自分自身にこじつけて、ふんぱつして買いました。中学生のとき一度欲しい時期があったのですが、高くて手が出せませんでした。これは、その頃の自分に対する今の自分からのプレゼントでもあるのです。

写真

梅田哲也(うめだ・てつや)
1980年、熊本県生まれ。美術家。大阪府在住。時間と空間を基調に、建築構造から観客の行動まで、とりまく状況全般を素材とした体験型のインスタレーションを 展開する。既存の展示空間のみならず、都市空間や自然のなかでサイトスペシフィックな作品も多く手掛ける。近年の個展に「ホテルニュー恐山」Ota Fine Arts(シンガポール・2013年)、「O才」Breaker Project(大阪・2014年)など。グループ展「あそびのつくりかた」丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(香川)は2014年6月1日まで開催中。http://www.siranami.com/